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2014年12月5日金曜日

音楽制作について(5)

若い頃、喜多郎さんのサポートをする仕事を担当していました。
全米ツアーについては音楽監督(サウンド面でのプロデューサ)として米国人のサポート・メンバーを指導、ツアーに送り出しました。
米国は外国の伝統文化(日本であれば邦楽など)を例外とし、商業音楽の世界では自国に利益をもたらす活動しか許可しません。つまり日本人のツアー・サポートのメンバーには商用のビザは発給されませんので米国人ミュージッシャンを現地で募集、オーディションをしてバンドを組むしかありませんでした。喜多郎本人も米国のレコード会社からアルバムをリリース、そのアルバムの楽曲を演奏することでようやくツアーを組むことができたのです。

私のパートは基本的には左手がベースで右手がピアノ(アコースティックでは無く主に YAMAHA のエレクトリック・グランド)と各種シンセサイザー、そして MIDIシーケンサのコントロールでした。
一番上のセット図にあるシーケンサは YAMAHA QX-1 となっていますが、ライブの画像を見ると初期のツアーでは喜多郎さんが所持ずる Roland のマシンを使っていた様です。後にこれが QX-1 となります。
ここでのMIDI活用は主にこのシーケンサ、彼の楽曲の内、ある一定のパターンを繰り返す(文字通りのシーケンス)に利用していました。シンセサイザーなど鍵盤楽器を三方向に多数積み上げていますが、どれも基本は手弾きでした。

画像2枚目はクアラルンプール、左は奥只見、
そして香港、次の2枚も香港だと思います。

香港と思われる3枚の画像にはエレクトリック・グランドの代りに DX シリーズの最上位機種 DX-1 が前面にあります。
自分のベース、これを一曲だけ使用したことがありますが、喜多郎さんの楽曲におけるベース音はやはりずしんと太く重いモーグ(日本ではムーグと発音しますね)が最適でした。

2015年12月28日月曜日

お問い合わせメール(吉幾三さんのためのアレンジについて)

頂戴したメールです。
「先日、吉幾三さんのCDを購入したところ、特に津軽路と津軽恋唄の編曲・アレンジに感動することがあり、編曲者様のお名前を調べさせていただいたところ、
林先生のホームページにたどり着きました。
現在では、津軽路・津軽恋唄はiTunesでも、CDでも入手できないのは残念ではありますが、新たに別の曲で林先生の編曲を拝聴する機会があればと思っております。
意味不明なメールかもしれませんが、この度のメールはファンレターのようなメールです。
突然失礼致しました。」

私の返信です。
「この2曲の編曲ですが、私はその前に喜多郎さんの仕事をしておりました。
彼の主にライブ活動のバックアップや編曲面でのアドバイス、私の経歴には喜多郎ツアーの音楽監督と記載しておりますが、その仕事が評価され、吉幾三さんから『喜多郎さんのサウンドをバックに歌ってみたい』との編曲および録音の依頼があり、編曲をしてバックグランドを録音、これに歌を重ねたということでした。
そんなこともあったなあという懐かしい記憶です。
お問い合わせを感謝いたします。」

手元にあるシングルCDをスキャンしました。いわゆるB面曲ですが吉幾三さんは私のアレンジを喜ばれ、気持ち良さそうに歌ってくれたことを思い出しました。
当時の資料とかスコアもどこかにあるはず。探し出せたら My Musical History に追加しようと考えております。

2019年5月7日火曜日

私とピアノ(5)

多数アーチストのサポートや録音に関わってきました。1ステージのみを除外し敬称略。ピアノだけの場合もありますが多くはバンドのピアノあるいはキーボード演奏、喜多郎ではベース(Mini Moog)も演奏。

チェリッシュ、上條恒彦、中村雅俊、まびい、坂本九、加山雄三、加川良、加藤登紀子、ふきのとう、葦原邦子、明日香都岸洋子、松平健、吉幾三喜多郎

2014年10月8日水曜日

月食

この前に見たのは随分前のことです。喜多郎さんのアルバム「The Light of the Spirit」の制作(録音)に協力していた頃(1987年)、彼のスタジオ(長野県八坂村)の外、彼と二人で見た月食でした。今日はウォーキングをしながら。











2012年4月28日土曜日

これからの投稿とインターネット楽譜&音

今朝のウォーキング中に考えたことです。
画像は今朝撮影の春の小川(不老川支流)における鴨とアブラナの花。

ブログに自分の音楽人生を書いてゆこうと思います。

その上でプロとして関わったアーチストや作曲家の楽曲をインターネット楽譜&音に上げて行こうと思います。

例えば今年、東京校歌祭は第20回を迎えます。
これを記念して参加各校における同窓作曲家の作品を歌おうという提案がありました。
母校作曲家と言えばお二人とも故人ではありますが、宇野誠一郎先輩といずみたく先輩。

中でも私にとって感慨深いのはいずみたく作曲「夜明けの歌」です。

ずっとステージの仕事をしていた故岸洋子さんの持ち歌であり、
私達の連弾コンサートでも「みんなで歌おう」コーナーで歌ってきました。

東京校歌祭の小石川実行委員より賛同を得たので、今秋第20回東京校歌祭では、
母校の校歌の他に会場の皆様ともご一緒に「夜明けのうた」を歌うことになると思います。

こんな風に、私の音楽人生を振返りながら、私が関わってきた曲を楽譜化できたら、と思うのです。

私が関わってきたアーチスト、その思い出は私にとって貴重であると同時に、世の多くの人にとっても素敵な音楽のはず。

そんなアーチストを列挙(敬称略)します。

上條恒彦、チェリッシュ、中村雅俊、加川良、大塚まさじ、加山雄三、加藤登紀子、ふきのとう、葦原邦子、岸洋子、喜多郎、いずみたく、三木トリロー。

2011年11月24日木曜日

根津の思い出(談志師匠の訃報に接して)

今日も起点はネット・ニュース「ライバルいなくなった談志さん いつもどこか寂しそうだった(スポニチアネックス(2011年11月24日 06:41)」です。
この記事の冒頭、「花井よぉ、100円玉2枚持ってる?」と言ってニッコリ、少年のように手を出す談志さんがいた。僕が誘って入った上野・池之端の寿司店。目の前は都バスのバス停。「こっから乗ると、俺ん家(ち)のマンションの前に止まるんだ」…というところまで引用。この俺ん家はプレジデントハイツ根津309、談志師匠が入居する前は僕の俺ん家だった。

私のブログにも書いた、バブル経済による家賃高騰、経済的に困り前橋市近郊の一軒家にバブル疎開して出た後に談志師匠が入居した。

このプレジデントハイツ根津309、防音室があるというので入居した。一応、新築の賃貸マンション、防音室というのは一室の壁を厚くし、二重窓と重い防音扉で改造されていた。六畳程度の部屋が四畳半程度に狭くなっていたが、ピアノが置ける、好きに弾けると思って契約をした。

下見の際に照明はついたので想像もしていなかったが、防音室内の電源(よくある二口)には電気が来ていなかった。完全な手抜き工事だが、もう壁を壊す訳にもゆかず、天井の照明から分岐して電源を取るしかなかった。下見の際に、各部屋の電源が正常か確認する人は居ないよね。いやこれには参った。

談志師匠がなぜ根津に来たのか、それは防音室があったからではない様だ。
プレジデントハイツ根津の直ぐ裏は五月祭りや時代劇のロケで有名な根津権現(根津神社)、これを抜けて行くと日本医科大学付属病院がある。治療目的の転居と聞いた。

この根津で暮らした時期、私は岸洋子さんの仕事、喜多郎さんの仕事、教室の方は自分の家で教えていたし、楽譜出版の仕事、通信カラオケの原型となるシステム(メーカーの方が実際に見学に来た)をヤマハQX-1で教室向け教材で開発していた。パソコンはNECの98シリーズ、パソコンに慣れようとしていたが音楽制作には使っていなかった。音楽制作に使い始めたのはマック・プラス。アプリケーションとしてはMOTU社のデジタル・パフォーマとモザイクの前身(プロフェッショナル・コンポーザ)だった。

このビルの一階には商店が入っていて、落語の世界の様な感じ、下町の生活感が漂っていた。特に根津の鯛焼きということで有名になった柳家さん。姓が同じく林というので、親戚とか言って冗談を言っていた。大将も女将さんも亡くなったが、今は息子さんが継いで暖簾を守っている。
酒屋のサワノ本店も思い出深い。冬になると樽で賀茂鶴を売っている。とっくりに分けて量り売り、広島の銘酒、懐かしくてよく買った。

この部屋を出るとき、防音室に穴八幡宮(早稲田)の一陽来復の札を貼って来たのだが、談志師匠はどうしただろうなって、そんなことを思い出した。

画像は定点撮影中の桜だが、一本南の桜(左)は常緑樹の前にあるので紅葉がはっきりわかりますね。

2021年2月24日水曜日

チック・コリアの思い出

 

若き日の愛聴盤の一枚が

チック・コリアの「Piano Improvisations Vol.11971年)」でした。

これを聴いていたネム音楽院在学中の夏(1972年)、

所在地の合歓の郷(三重県浜島町)野外ステージの夜間ライブ

(ネム・ジャズ・イン)、折悪しく台風襲来の中チック・コリアの

演奏がありました。彼が「ステージのすぐ裏から聴こえるカエルの

声を生かすように演奏した」という様なコメントしたことを記憶して

います。このアルバムから「Noon Song」も演奏しました。

上画像は、在学中に採譜した私の楽譜資料です。


その後、喜多郎全米ツアーのために渡米した夏(1987年)、

リハーサルで毎日通ったSIRスタジオ(Sunset Boulevard Los Angeles, U.S.A.)で

チック・コリアのツアー用機材を見かけました。

ケースに「チック・コリア・エレクトリック・バンド」と

書かれていました。

左の画像は全曲の採譜を担当した楽譜集。

この中から次の二曲は自分のアレンジを発表していたので制作を

先行させ、今日、販売サイトへ送稿したところです。

来月にはリリースされるでしょう。


Friends」は左の楽譜集に収録されました(19818月刊行)。

Crystal Silence」は左の楽譜集に収録されました(20133月刊行)。

これから「Spain」と「Noon Song」を採譜しなおして制作します。

最後に。今日68歳になりました。

今後も元気に仕事をしてゆきたいと思います。

2015年5月31日日曜日

紫友同窓会「春の芸能祭」

昨日、成増アクトホールで演奏しました。
母校小石川の同窓会が主催する春の芸能祭。

芸能祭とは小石川伝統の行事、秋の一日、生徒がそれぞれに色々なステージパフォーマンスを披露します。私も在学中、セルジオ・メンデスのコピー・バンドに加わり、文京公会堂のステージなどに出演、ギターでコードを刻みました。

同窓会では昨年から春の一日を同窓生やPTA会員や教員の方々とステージパフォーマンスを楽しむ機会を設けています。

今年は私に出演の依頼がありましたので次の曲を演奏しました。

1曲目:2枚目のCD「The Forest」より「エバーグリーン・ソング」、ライブ冒頭はいつもこのオリジナル曲。エバーグリーンとは常緑樹、常に緑の葉をつけている常盤木のこと。音楽の世界では「色あせない不朽の名曲」という意味でも使われます。

2曲目:デビューCD「Seaside Feelings(日本コロムビアCORR-10545)」より「Sea Wind」、このCDの楽曲は選曲など多方面で利用されている私のベストセラー・アルバムです。

3曲目:サポートの仕事をしたアーチストの代表曲メドレー

(1)『木枯らし紋次郎』の主題歌(上條 恒彦)
(2)てんとう虫のサンバ(チェリッシュ)
(3)君といつまでも(加山 雄三)
(4)上を向いて歩こう(坂本 九)
(5)ひとり寝の子守唄(加藤 登紀子)
(6)ふれあい(中村 雅俊)
(7)あなただけを(あおい 輝彦)
(8)『シルクロード』のテーマ(喜多郎)
(9)白い冬(ふきのとう)
(10)夜明けのうた(岸 洋子)

4曲目:「You Raise Me Up」初版1994年、ポピュラー・ピアノ・アレンジ曲集の定番的長寿出版物「華麗なるラウンジB.G.M.レパートリー①」冒頭に収録されています。

綺麗なお花を頂戴しました。昨日は受付に飾り、帰宅して胡蝶蘭の前に飾りました。
ありがとうございます。

10年以上前に書いたアレンジですが、母校校歌のジャズ・バージョンというのがあります。今回、ジャズのフルバンド(小石川では生徒達が自主的に編成したリトル・ストーンズというバンドがあり各方面から注目されています)のOBOGによるバンドがこれを初演してくれました。
実にうれしいことでした。
今朝の自室窓辺。ミントが元気に育っています。
さあ、また仕事。教室の発表会の準備を本格化させます。
こちらも楽しみ。

8月30日、六本木 All Of Me Club です。


2014年12月4日木曜日

音楽制作について(4)

今日は音楽をデジタル的に編集する技術が出て来た頃、黎明期の話です。

当時の画像を探しましたが見つかりませんので、私の著書「コンピュータ&MIDI(3)サウンドブック」から関連画像を利用します。

この本は音楽之友社の編集者J.K.様の企画、既に(1)と(2)が出版されていました。「(これまでの(1)や(2)と違い)技術的な話ではなく音楽の制作現場でコンピュータやMIDIを実際に活用している音楽家の視点から音楽ユーザにわかりやすい本を書いて欲しい」という執筆の依頼でした。

そのJ.K.様には本当にお世話になりました。
コンピュータやMIDIの知識や情報という面もありましたが、それよりも広く音楽全般、特にピアノという楽器についての素晴らしい知見や情報の恩恵を受けました。
今につながる一番需要な要素は、調律師のI.H.様をご紹介下さったことです。

仕事場(音楽教室)で活躍する素晴らしいグランド・ピアノはI.H.様から購入しました。このピアノのみならず私のライブ活動や教室発表会におけるピアノの調律、昨年のピアノ選定作業については実に有益なアドバイスをしてくれました。

思えば今こうして元気に仕事が続けられていること、教室の存続(途中一時期のベーゼンドルファーもI.H.様からのご紹介)、ピアノについてのあれこれ、I.H.様なくして今の私はありません。そしてI.H.様をご紹介下さったJ.K.様、お二人には本当に感謝をしております。

私のパソコン体験は「マック・プラス」と「NEC(記憶によるとPC-8801mkⅡ)」から始まります。

実際に使っていたPC-8801mkⅡの画像が見つかりませんでしたので当時の上位機種(普及機種)PC-9801の画像をご紹介。
PC-8801mkⅡでは楽譜入力アプリケーション MUSIC PRO-98 を試しました(左)。J.K.様の勧めもあり、前職音楽出版社時代からの知人が開発販売をしていたという経緯もあります。

しかし正直のところ「マック・プラス」で使っていたMOTU社製のアプリケーションとの比較にはなりませんでした。この当時のアプリケーションのレベルは「マック・プラス」のアプリケーションの優秀さが際立っていました。

次回は私の音楽教室におけるMIDIの応用や演奏現場(喜多郎さんのステージ等)について書いてゆきます。

2013年6月24日月曜日

歩き方について考える

還暦を迎え、人生再出発と考えています。
幸いにも自宅に教室を含めサービスと制作の仕事をまとめることができました。
じっくり腰を据えて自分の仕事のクオリティを上げて行きたいと考えています。

ウォーキングも歩数よりクオリティだと考え始めています。
ただ闇雲に歩くよりは歩く姿勢、歩き方について考え始めています。

昨日、下駄で三千歩歩いてみました。
漠然と考えていたことのチェックです。
なるべく「カランコロン」というか引き摺って歩かない。
なるべく下駄の歯を同時に着地して「カッカッ」と歩く(少々の前打音は許容)。
思ったよりは簡単に出来ました。

帰宅してからネット検索で調べてみました。
日本独自の歩き方について、漠然とそれが西洋の靴の歩き方とは違うとは感じていました。
それは能や狂言、歌舞伎などを鑑賞して感じましたし、喜多郎全米ツアーの時には舞台パフォーマンスとして彼の幽玄なサウンドをバックにすり足で登場するパフォーマーを演出に取り入れるアイディアなどが出て、なるほど和のイメージを音だけではなくて見える形にしようとしているのだなと思いました。どうしても音楽ステージで鍵盤楽器はその場から動けないのでステージ上の絵がつまらない。演出となると照明の工夫になりますがそれも限界、何か別の要素と考えた人が居たのです。すり足ね。ただ「すり足」という言葉で検索をすると剣道が出てきます。むしろ和式歩行は「ナンバ歩き(走り)」と言う様です。なぜここでカタカナのナンバなのかはまだ未解明です。もう少し調べてみます。
和式の歩き方について詳しく知ることができたのはかなり前の放送ですがNHKーBSの番組。ピーター・バラカンさんが説明していました。ロンドン生まれの方ですね。今朝プロフィールを見たら二歳年上です。日本語を学び、もう日本人より日本人らしいイギリス人ですね。

自分の歩き方で一つ新たに気づいたことがあります。
投稿「早起きと歩く習慣(2011年8月26日)」にある通り、小学生の私は朝早く起き、バス停へ。広島のバスは青バスと赤バスがあります。青バスは広島電鉄のバス。赤バスは広島バス(胴体にグレイハウンドの絵がある)。私は小学校の六年間、青バスに乗り、御幸橋を渡り広島大学の前で降り、市立千田小学校へ通いました。
早起き、ウォーキングを子供の頃からせざるを得なかったのです。
独りで歩きます。一緒に通学する人は居ませんから。歩く際に考えました。
何か速く歩ける方法は無いかと。
速く歩くには時間辺りの歩数を増やす(ピッチ歩行かな)か、一歩辺りの長さを増やす(ストライド歩行?)か、そのどちらかだと思います。私は後者を選択して少しでも先に踏み出した足が着地する様に歩くことにしました。これはかなり意識的にやっていました。

少しでも先に足を着地、足の裏全体で地面をキャッチする様にします。歩数を増やすのではなくてゆったりと歩数は少なくストライドを長くです。
そうすると自然に前足に重心があり、足の前半分を意識した歩き方になります。背筋も伸びます。
歩く姿をなるべく綺麗にとは以前から意識はしていました。
ストライドを長くするには後足で蹴るときにしっかり蹴ります。これは下駄の場合には難しいのでやはり長距離のウォーキングにはウォーキング・シューズの方がよいかも知れません。
結果、あまり足音をさせずに歩けます。忍者みたいにね。実際、忍者なり飛脚の走りはそれこそ国際大会でマラソンさせたら日本人がメダル独占という位にスーパーだったとする説があります。現在、アフリカ高地の人々の走りに、そしてこれからは中南米高地の人々の走りに世界が驚愕するかも知れませんが、日本のマラソンも忍者なり飛脚を再認識する必要があるのかな?
相当脱線しましたが、自分なりの歩行スタイルは和式の歩き方に洋式(後足で蹴る部分)を採り入れた独自のものかも知れません。
まだまだ研究の余地がある様ですが、楽しくやってゆこうと思います。

下駄で歩くのはまだ慣れていません。長距離は難しい気がするので、せいぜい近所の三千なり四千で時々、歩き方のチェック(カランコロンでは無くカッカッ)をやろうと思います。
ややO脚ですから下駄の歯の外側が減ります。それなら毎日左右を逆にして歩こうか、なんて考えました。
両端が減るだけ?それはやってみなければわかりません。

2012年1月25日水曜日

Hay fever

若い頃、それは二十代前半頃から、毎年春先に風邪を引くと思っていました。
これは風邪では無かった。

当時は原因も病名も不明。
本日のタイトルは病名を英語に翻訳しましたが、以前これを辞書で引くと「枯れ草熱」だった。
喜多郎さんの全米ツアーでロスへ行った時に購入した辞書で引くと「花粉症」の対訳は出てこない。
最近では病名がポピュラーになったのでしょう。ネットの翻訳サイトは花粉症になっていて枯れ草熱は出てきませんでした。

ずっと毎年辛かった。夜がきつい。

でも最近、歳をとったせいなのか、身体が慣れてしまったのか、症状は軽くなりました。
三十年近くつきあってきた病気というか症状、対処法はジェネリック薬のエルピナン錠服用とマスク。
マスクは外出時のみで自宅では不要です。

投薬を処方してくれた黒田先生曰く「花粉量予想は昨年の半分とかですが昨年が例年の十倍だったそうで結局は五倍?もう症状を訴える人が来ています」とのこと。

私のお気に入りの林にも杉はあります。昨年も花が咲いていました。雪の後、暖かくなれば春到来。
そろそろ始まるでしょう。

パッチ・テストによれば杉以外にも色々な花粉や原因物質に反応しているようですが、夏の到来、五月の連休頃までは鬱陶しい時期になるのです。

隣はマグラックス錠、酸化マグネシウム(通称カマ)です。
以前は粉薬しか無く、服用が面倒でしたが、今は錠剤が出ています。すぐ崩れる・・・けどね。

亡父に体質が似ており、目が弱く、大腸の働きに波があります。
制作仕事などに集中すると大腸の働きが落ちます。不調の波を感じたら就寝前に服用します。

後はウォーキング、そして水分摂取。

59年近く生きてきて、自分の身体の特徴がわかってきたら、後はうまく付き合うということでしょう。

今朝も凍っている道が多いので、通行量が多い道を選びました。6,400歩。

2010年5月29日土曜日

私から購読をお勧めするブログ


ピアノを弾いている時は幸せです。ピアノを弾いているだけで暮らせたら幸せでしょう。でもシンセとかパソコンとのつきあいがあっての音楽人生。シンセのおかげで喜多郎さんの仕事が来たし「コンピュータ&MIDI」という本の執筆依頼も来た。そしてネットにおける音楽や楽譜の出版の世界が開けてきました。
ブログを書き始めて一月。まず色々なブログ購読から始めました。私が購読しているブログをご紹介。なぜか二件とも九州。福岡と熊本です。

(1)Penny Lane Music
私の教室とフィーリングが近い。つい書き込み(コメント)してしまう。それも熱心に。ページ左下に最新のコメント一覧があります。結構、本音をつぶやいちゃいました。最新はさっき書き込んだ「黒船歓迎」。この教室の先生曰く「ご紹介、うれしいです、ぜひお願いいたします。こういう形で、物理的にはお会いできるはずのない方とも交流ができるということこそ、ネットならではですね」とのこと。私も同感です。

http://blog.goo.ne.jp/pennylane1996-2?fm=rss

(2)bar伊藤
私のCDを紹介してくれたブログ。マスターは以前お会いしたことがある様です。下記ページは投稿日なので下の方へスクロールすると「The Forest」が出てきます。マスター曰く「BARなのにお酒のことより音楽のことばかりアップしており、ある意味「WEB上の孤島サイト」みたい(笑)」とのこと。飲みに行きたいが遠い。

http://itochan.com/blogs/index.php?m=20050725

2010年9月3日金曜日

ネットDL楽譜からアメリカン・クラシック名作集をリリース!






発表会準備で当初よりリリース予定が遅れましたが、インターネットからのダウンロード楽譜(私はアット・エリーゼというサイトから販売中)、アメリカン・クラシック名作集をリリースします。

このアメリカン・クラシック、私の造語ですがイメージは伝わると思います。私が以前、喜多郎さんの音楽監督としてバックアップメンバーの責任者として演奏したりメンバーの指導をしていた頃、全米ツアー以降はメンバー大半がアメリカ人ミュージシャンになるのですが、彼らが日本ツアーに来て異口同音に「日本は長い歴史を持つけれどアメリカは歴史が浅い」と語りました。例えば伊勢神宮へ行き遷宮を見るとそう感じるのです。しかしアメリカも日本やヨーロッパに比べると歴史は浅いけれど著作権保護期間を過ぎた楽曲が増えてきました。作曲家ジョージ・ガーシュウィン、ビクター・ヤング、フランク・チャーチル、ジェローム・カーン、スコット・ジョップリン、スティーブン・フォスターの楽曲です。それなりに歴史があり、アメリカン・クラシックと呼んで良い楽曲が増えて来たのです。彼らの楽曲を良く耳にすると思います。例えばコマーシャル用に著作権使用料を支払う必要が無くなったことが一つの理由です。
既に多数楽曲をアップしていますが、この特集の一つの区切りとしてジョージ・ガーシュウィンの名曲「ラプソディー・イン・ブルー」の全曲完全採譜アレンジをリリース、同時にアメリカ合衆国国歌のピアノ連弾とソロもアップします。

「ラプソディー・イン・ブルー」の紹介文を紹介します。「ジョージ・ガーシュウィンの名曲をデジタル録音技術を応用して完全採譜、ピアノ連弾(ピアノソロ)にアレンジしました。音資料は作曲者本人が残したピアノ・ロールを自動再生したCD「ガーシュウィン・プレイズ・ガーシュウィン(Elektra Nonesuch WPCC-5659)」です。この採譜に取り組んだのは私が所持する市販楽譜に多数の謎や不適切な記譜を発見したからです。例えばクラリネットのポルタメントで有名な冒頭スケールを17連符で記譜、徐々に早く(gradually faster)とする版もありますが、正確に計測するとその反対で前半が10連符で後半はトニック音開始の7連符でした。この楽譜では謎を全て解明し適切な記譜に修正、更にこの楽譜の自動演奏(模範演奏MP3)を音資料と同期させて確認しています。
リリースされたらまた投稿します。その際にこの特集を紹介するページに上げる文字を先行発表します。

2014年12月8日月曜日

音楽制作について(7)そして音楽教室について(3)

前回、分解能という用語が出てきました。
テンポとは関係無く、音楽の基本となる拍である4分音符をどこまで細分化して表現できるかという性能です。分解能が小さい(分数で示されるので分母が大きい)程精密で細やかなタイミングで演奏を編集し再現できます。

4分音符の半分8分音符なら1/2、16分音符なら1/4、32分音符1/8、64分音符1/16…となります。当時(MIDIシーケンサが普及しはじめた頃)多かったのは1/96、分解能1/96の8分音符は4分音符の半分で48/96の長さ、4分音符を3分割する3連符(4分音符の1/3)は32/96となります。

QX-1は分解能1/384でしたが、マック・プラスで利用できるMOTU社製Performerは1/480でした。分解能の分母は3連符を正確に表現すべく「2と3の公倍数」ですが480では5連符も正確に表現できることになります。

最初にテンポと関係無くと書きました。テンポがある程度早ければ分解能が荒くてもあまり誤差は気になりませんが、喜多郎さんの楽曲でシーケンスを利用する場合はテンポが遅いのです。そこで1/384のズレがあると、そこだけ「おや?」ってわかります。「カックン」となるというか…

MIDIシーケンサが優れているのは自由にテンポを設定できることです。音楽教室では重要な要素です。最初から想定テンポで演奏できる人は少ないし、その様な方は余り習いにはお出でになりません。なかなか演奏がうまくゆかないから教室にいらっしゃるケースが多い訳で、演奏したい曲のテンポを少し遅くして練習し、演奏できる様になって来たら少しずつテンポ・アップ、最後には想定するテンポなり満足のゆくテンポで演奏できる様になります。

昨日のレッスンで Dave Grusin の名曲「Mountain Dance」のアドリブ部分を練習していたY.S.さん、テンポ入力の部分をご自分で少しずつアップして練習していました。既にテーマ部分は96(メトロノーム数字:4分音符96/1分の速度)で演奏できます。アドリブ部分、72で練習を開始、次に80、次に84、88とアップしてそれぞれクリア!最後に92で弾ける様になりました。傍らで見守っていましたがとても集中して練習されていました。一先ず92のテンポでアドリブを良く練習してから次に96でテーマとアドリブを続けて練習する予定だそうです。
この様な練習はとても重要です。それがMIDIシーケンサの登場で可能になったのです。

左の画像はMOTU社の楽譜アプリケーション Professional Composer で作ったもの(上の画像左下参照)です。これは著書「コンピュータ&MIDI(3)サウンドブック」の譜例、印刷用データを自分で書いて(現在の様にデータ入稿では無くレーザライタで一旦出力して出版社に渡していますが)提供しました。
印刷用楽譜の版下を作る作業を浄書(じょうしょ)と言います。これまで楽譜浄書は専門の業者に発注するしかありませんでした。浄書楽譜を校正できれば良いのですが、ポピュラー楽譜では校正をしないで出版されてしまうことが多く、出版後に浄書段階で発生したミスに気づいてがっかりすることもありました。
パソコンにおける楽譜アプリケーションの登場により、作編曲家が自分で浄書できる時代に入ったのです。楽譜データはSMFファイルを経由してMIDIシーケンサ(この場合は同じメーカのPerformer)へコンバートが可能です。デジタル的音楽制作の基本的な流れは当時と現在と基本は変わっていません。音楽の世界では早く(1980年代)からパソコンや各種専用機を利用したデジタル的編集が実用化されていたのです。

2010年11月20日土曜日

久々の投稿「マックからウィンドウズへの変更顛末」

毎日投稿するペースでは無いが、それにしても前回の投稿から随分と経ってしまった。
実は仕事用のメインPCが突然起動しなくなった。つまり壊れた。メンテナンスを怠ったからだろう。メインPCは長年アップルコンピュータ、つまりマックだった。長年慣れ親しんだマックだが、最近では単におしゃれで高価なマシンではないかと思うようになってきた。
実際問題として、音楽教室にMusicVoxが用意してくれたPCはWindows(Vista)マシン、生徒の大半もマックユーザでは無い。私も必要に迫られてWindowsマシンを使うようになり、マックでなければという感じはしなくなった。音楽ではむしろマックの方が少数派に陥りつつあることも感じている。
そんな訳で、近々メインPCをWindowsマシンに変更しようとしていた矢先のことだった。
現実問題として、各種アプリケーションをどうするのか、これは簡単では無いが、ほぼ全ての作業について新たな環境が整った。これに半月かかった。ブログに投稿どころではなかったのである。
最後にホームページをどうするかとなった。現在の公式ホームページはマック版DreamWeaverだったがWindows版の購入は止めることにした。既に上がっているページの部分的修正はテキスト打ちで行えることが今朝実感できたしFTPもフリーソフトで十分なことがわかった。これからホームページの作り方を初歩から勉強して行くことにした。
壊れた訳ではないが、そろそろカメラの付いていない携帯もどうかと思い、Movaサービス終了とのことでFomaに変えた。ブログを投稿するのに自分の携帯で撮影を始めた次第。最初の画像はマックバッグ。
マックバッグとは昔使用していたアップルのPC、MacPlusを運搬するためのカバン。大きさは隣のマック(これは楽譜制作用のOS-9マシン)からわかると思う。これでマックを運ぶ姿は正に山伏の様でした。
当時、音楽シーケンサー(演奏情報の編集および再生)も専用機からパソコンへと変化して行った。喜多郎さんのライブ現場で活躍、私も持っていたヤマハのQX-1が少しずつMacPlusにおけるMOTU社製のアプリに変わっていったのが1980年代、私の著書「コンピュータ&MIDI<3>サウンドブック」からそのQX-1とMacPlusをスキャンしてご紹介しておこう。

この本の初版は1989年2月20日。随分昔のことになった。その25ページにMacPlusを紹介しているが、「QX-1を長年愛用してきたがMacPlusを導入・・・」と書いている。


























その約20年後となる今、今度は「Macを長年愛用してきたがWindows7を導入・・・」となったのです。

2014年12月7日日曜日

音楽制作について(6)そして音楽教室について(2)

喜多郎さんの楽曲では一定のパターンを繰り返すために使われたMIDIシーケンサですが、パターンとは言え仮に微妙なずれ(例えば4分音符の1/384)があると不自然に聴こえる(感じる)ことに気づきました。

MIDIシーケンサにリアルタイム(鍵盤を実際に演奏して)入力した演奏情報を分析したり、ステップ(演奏情報を数値的に)入力してよりよい演奏情報の編集を工夫する努力の中から「どの様な演奏が上手にあるいは下手に聴こえるか」ということがわかってきました。

そしてこの様なノウハウを自分の演奏に活かしたり、生徒さんへの指導に活かすことができる様になってゆきます(左上は教室に設置していた私の当時のMIDIセット)。

1987年5月に出版された「リズム・パート付きでマスターするポピュラー・ピアノ・ソロ/【リズム・マシン活用】ポピュラー・ピアノ・レッスン10」という曲集があります。当時盛んに使われたドラムス・パート用のシーケンサ(ドラム・マシーンとかリズム・マシーン)の演奏情報編集方法も書いたポピュラー・ピアノ曲集でした。

私の教室ではこれにベース・パートを加えてピアノ・トリオ用のマイナス・ワン(自分の演奏するパートを除いたバンドやオーケストラの音)を作り練習したり楽しめる様にして指導に使い始めました。

当時の教室の様子は ココ にあります。

このMIDIシーケンサによるMIDIマイナス・ワンの様子を見学に来た音楽業界の方もありこの様な演奏情報が後に通信カラオケやパーソナル・カラオケの商品化につながってゆきます。