2012年6月7日木曜日

My musical history(14)

アシュラダムに在籍した頃のお話です。
上條恒彦さんのステージの仕事が多かったバンドです。
バンドで請け負った仕事に中村雅俊さんのデビュー・ツアーがありました。「ふれあい」が大ヒットしたからで、彼の故郷の女川へも行きました。ステージは女川ではなくて石巻だったと記憶していますが。

上條さんは「出発の歌(だびだちのうた)」そして「だれかが風の中で(フジテレビの時代劇「木枯らし紋次郎」主題歌)」のヒットでステージの仕事がたくさんありました。全国各地へ行きました。
このように旅へ行く仕事を業界用語ではビータと言いますが、九州の労音では色々なところへ行きました。
博多や熊本の様に大きな都市だけではなく大牟田、山鹿、玉名、菊池、天草、八代、出水…。先日の写真はその出水です。

プロの音楽家と言ってもビータとスタジオは世界が違います。スタジオの人はあまり地方へ行きません。
スタジオの仕事は急に入ってきて内容もわからずに何日何時にどこそこの録音スタジオへ行く感じ、だから地方へ行っていては仕事になりません。行っても直ぐに帰れる東京近辺とか主要都市程度です。
ビータの仕事は東京のステージもありますが、主に東京以外へ出かけてしばらく帰ってきません。
最初の内、全国あちこちへ行けるのが楽しくて航空会社の機内でもらえる地図に行った場所と日付を記録していました。

上條さんは、ご自分のアルバムにアシュラダムを使ってくれました。ステージのライブだから当然とも思えますが、ライブの録音でも当時はスタジオの人が呼ばれることが多く、ビータのバンドは一般的に冷遇されていました。
そのライブ・アルバム、上條さんのサインがあります。

上條さんは歌手としてデビューしましたが、どちらかというと演劇をやりたかった様です。
ステージでも歌を絡めた寸劇のようなものがありました。だから劇伴(げきばん:演劇や映画の伴奏音楽)も経験しました。
倍賞千恵子さんがご一緒されたシリーズは思い出深いです。例えば芝居の中で水道の蛇口をひねると水が少し落ちる、などのセリフに対してピアノでその情景を表現するとか…。東京のステージには、当然の様に渥美清さんが応援に来られました。
このステージで九州にも行ったと記憶しています。アシュラダムが毎日粗末な衣装なので、倍賞千恵子さんが1人ずつ綺麗なTシャツを買ってくれたことがありました。何とか着られましたが、女物ではないかと思いました。当時はみな細かったから女物でも着られたのですが…。ややつんつるてんでした。
ステージにおける演奏は本当に勉強になり、後の私の音楽活動の本格的なスタートということができます。
アシュラダムのメンバーは今頃どうしているかなって思います。何しろ毎日一緒。そんなビータでした。

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