2026年11月1日日曜日

小学校・中学校の通学路

 

先月18日「夕飯の焼きそばに青のりをかけようと思い…」
から始まり、
50年前の記憶を頼りに生まれ育った家の界隈を 紹介してきました。 その後、25日にグーグル・マップとストリート・ビューを利用して、 最近の様子を見て回りました。 今日は小学校と中学校の通学路を見て回りました。 生まれ育った家と隣の浜本工芸の工場があった街区は現在、 「ベイシティ宇品」になっています。 その北側から東へ、 バス通り(18日投稿の解説図参照・御幸通りというらしい) を目指しましたが、 直ぐ宇品橋にぶつかり直進できません。 北側にあった貯木場はある程度広い土地、 家が建っていなかったのでここを宇品橋の足掛かりにした様です。 何とか宇品橋に上らずに少し回避して東へ、 記憶を頼りに進むと左側にレンガ塀が見えます。 当時「糧工(りょうこう)」と言っていた場所。 「旧陸軍糧秣支廠」、現在の「広島市郷土資料館」です。 この北東近くに「松尾糧食工業所(カルビー株式会社の前身)」があり、 小学校の時に工場見学に行った記憶があります。 東京オリンピックの年(1964年)、私は小学六年生、 「かっぱえびせん」を発売したそうです。 工場見学の時にはキャラメルなどお菓子を作る工場でした。 ここを通り過ぎて少し先、「バス通り」に出ました。 左に曲がって少し行くと「宇品13丁目」のバス停があり、 ここで広島駅行きの広電バスに乗り「広島大学前」で降り、 千田小学校(25日投稿参照)へ通った訳です。 AI回答一部引用: 「宇品線といえば広島バス(赤バス)」という現在のイメージが強いですが、 昭和40年代(1970年前後)に広島バスと広電バスの間で路線の交換(再編)が行われました。
1960
年当時は、確かに広電バスが宇品~広島駅方面への路線を運行していました。 (中略)
千田小学校は広島大学本部キャンパスのすぐ北側に隣接していました。
「宇品13丁目」からバスに乗り、千田町にあった「広島大学前」で下車して歩けば、 千田小学校のすぐ目の前、あるいは目と鼻の先に到着するため、 当時の通学ルートとしてこれ以上ない最適な経路です。 バス通りに出てから右に曲がり、 「宇品10丁目」バス停のところで右折、 電車通り(宇品通り)へ出る。 そしてひたすらずっとずっと歩く。これが長い。 国鉄宇品線の手前に「宇品中学校」があった。
宇品13丁目は当時の古い地名。 港の方から北へ番号が増えていったが、 現在の新町名は反対に北から港へ番号が増える。 昔の宇品13丁目は現在の宇品2丁目、10丁目が宇品3丁目となるようだ。 この投稿の冒頭にあるのは宇品中学に入学した日の写真です。 宇品中学校の校舎の屋上からグラウンドの方(東)を見ると宇品線が見え、 SLが走っていた。 その先に東洋工業があり、 コスモの試験車らしいものが走るのを見た記憶があります。 AI回答一部引用: 1960年(昭和35年)頃の宇品線では、蒸気機関車が日常的に活躍していました。
当時、宇品線にはディーゼルカー(気動車)も導入されていましたが、 東洋工業への通勤客などで朝夕に大変な混雑を見せていたため、 D51形やC58形、C11形などの蒸気機関車が旧型客車を牽引して走っていました。
1964
年(昭和39年)時点の記録でも、平日の朝夕に4往復の D51牽引客車列車が運行されていたことが確認されています。 その後1970年頃に無煙化(ディーゼル化)されるまで 蒸気機関車の姿を見ることができました。

2026年10月31日土曜日

AIと音楽制作および音楽出版

今年になって、
AIに問い合わせたり相談することが増えました。

昨日、私の音楽作品配信を委託しているサイトから
受け取ったメール。
要旨は「一部の配信サイトにおいて、 生成AIを使用した楽曲等に関する
表示運用が順次開始される 予定となっており、 該当サービスへの楽曲納品時に生成AIの使用状況について 申告が必要となりますので、 今後の納品に際しては新エントリーシートへのご記入を お願いします」とのこと。 私は以前制作し出版した音源だけ、 今後新たに制作するつもりがないので、 新エントリーシートの雛形を確認しただけですが、 時代の変化をひしひしと感じたメールでした。 しかし、 新しく出て行く音楽はきっと、 歴史的に残る音楽にはならない。 楽譜の世界は、 ちょっとヒットした程度の新曲より、 クラシックやスタンダードを選曲して 制作すればよいな、 とも思ったのでした。 今後も歴史的に残る音楽の残る楽譜を 丁寧に作りたいと思います。

 

2026年10月25日日曜日

最近の広島市宇品町界隈

今朝、グーグル・マップのストリート・ビューを使って、
最近の広島市宇品町界隈の画像を楽しみました。
起点は現在の浜本工芸の本社住所。
「浜本工芸 広島ショールーム」があります。

この当時出島町はまだ小さいので、起点のある場所は広島湾の底です。

ここから北へ、京橋川が見えました。
現在の地図を頼りに生まれ育った家の前の道に出て左へ(西へ)、
京橋川の川岸に出たところが ココ です。

今はこの界隈に大きなお店「ベイシティ宇品」があり、
ここに浜本工芸の工場や私の生まれ育った家があったのだと思います。

昔「憩の家」があった辺りから上流は川岸、
「御幸橋」まで来ました。

昔はこの橋が京橋川に架かる橋の一番南の橋。
今は大きな橋がいっぱい下流に架かっています。
風景は一変していますが、
遠くに似島が見えます。

ここから広電(ひろでん)が走る大通りを北へ、
引き込み線などが残る当時の広電車庫の少し北を右へ(東へ)、
「千田小学校正門」にたどり着きました。

小学校の通学、自宅からバス通り(先の解説図参照)へ歩きます。
バス通りは子供の眼には広かったけれど、
電車通りと書いた通りとは違ってさびれた感じがしました。
この辺りの説明については先日の投稿「宇品町1,334番地」の
解説用画像をご覧ください。
13丁目のバス停から広島駅行きの広電バスに乗り、 御幸橋を渡り、広島大学前で降りる。 そこから少し歩いて千田小学校。 自宅から小一時間かかった。 今朝のストリート・ビューでは1分もかからなかった。 この道筋は記憶の通りでした。 当初スクリーン・ショットを撮影したのですが、 画像のことをグーグルのAIに質問したところNG。 その代わりにグーグルの推奨する方法で 上記のポイントをグーグル・マップで共有することにしました。 最後にAIとの質疑応答の要旨を引用します。 (最初の質問)「グーグルマップのストリートビューのスクショをブログに使ってよいですか」    ↓ 回答は基本NG。次の回答にもあるグーグル推奨の方法があるとのことでした。 (追加の質問)「子供の頃通った小学校や中学校の正門、随分と変わった風景、 50年以上前の記憶と現在を比較する目的で使います」    ↓ 50年以上前の記憶と現在の風景を比較するという、 非常に思い入れのある素敵なブログの企画ですね。
その目的であっても、 やはりスクリーンショットの画像としての掲載は Googleの規約違反になってしまいます。 しかし、ブログの読者に「現在の様子」を伝えるための 安全で確実な代替案が2つあります。 1. Googleマップの「地図の埋め込み」機能を使う(推奨) スクショではなく、ブログ記事内に Googleマップ(ストリートビュー)そのものを埋め込む方法です。 これがGoogleが公式に認めている唯一の掲載方法です。 ・メリット: 規約違反にならず、 読者も画面を動かして周囲の風景を見渡すことができます。 ・手順:(この四項目省略) 2. 自分で現地に行って写真を撮影する(この先省略) 広島へ行くと交通費が大変。 高校の関西同窓会が倉敷であったときも、 広島行きを断念したくらいでしたから。 最後に広島へ行ったときに宇品中の同窓生にあったけれど、 確か前世紀の終わりころ。 随分前のこと。 50年も経つと昔と一変する場所もある、 広島が大きく発展する町だからでしょう。 小学校と中学校、昔の写真を探してみます。 後日、自分だけの思いですが、 昔日の記憶などを投稿したいと思います。

2026年10月21日水曜日

ブログで使用する画像

 

ブログで使用する画像については著作権を確認、
権利表示などが指定されている場合は

その指定に従って出典や権利者を表示してきました。
その他は自分が撮影した画像や描画です。

前回の描画はAIのアドバイスに従ったものですが、

映画「慕情」と映画「愛と青春の旅だち」、
ラストシーンのイメージを描いてみました。

自分で描画した例は ココ にもあります。

最近のブログ(今月15日と16日)の画像、
N氏の許諾を得て使用しています。 このブログ内 N氏 の検索結果は ココ にあります。


2026年10月19日月曜日

本日7件の楽譜をリリース!



映画「慕情」や

映画「愛と青春の旅だち」などの楽譜です。

詳しくは ココ をご覧ください。

2026年10月18日日曜日

宇品町1,334番地

 

夕飯の焼きそばに「青のり」をかけようと思い、
そのパッケージをみると三島食品の製品。
広島の食品メーカで、
「ゆかり」とか各種のふりかけを作っています。
住所は吉島町。
住所を入力して検索した地図を見ると、
生まれ育った家の隣にあった浜本工芸が
出島町に移転している。

原爆投下の頃に出島町はありませんが、
1960年頃から宇品町の先、
太田川の河口(広島湾)へ向け
埋め立てられた新しい町(土地)です。

国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」から1960年頃の宇品町の航空写真(上)を入手。
これをトレースして解説用画像(左)を作り、 航空写真の説明をします。 生まれ育った家は 水産庁内海区水産研究所 の官舎。 住所は広島市宇品町1,334番地でした。 解説用画像の黄色い場所、1,334番地と書きました。 父はここから水産研究所へ通いました。
私は日曜日に研究所所長官舎へピアノを習いに通いました。
バス通りと書いた道路を広電バスと広島バスが走り、
私は広電バスで京橋川を渡り、千田小学校へ通いました。
太田川は広島市内で六本に分流します。
東から二番目が京橋川、三番目が元安川。
元安川上流にある相生橋は原爆投下の目標地点。
解説用画像ピンク色のエリアは貯木場でした。
航空写真では研究所近くの海面にも材木が浮いていますが、
ここは「内海丸」という水産研究所の調査船の母港でした。
その後この部分の海は埋め立てられ、陸地になっています。

家の前の道の反対側(北側)も貯木場で、
ここには材木市場がありました。
その上流に「憩いの家(1957~1992年広島市宇品にあった原爆被爆者のための
精神的安らぎと保養を目的とした施設)」がありました。
さて、三島食品も浜本工芸も、カルビーやMAZDAの様に、広島発の有名企業です。
浜本工芸宛に子供の頃の記憶などを書いてメールしたところ、
丁寧な返信を頂きました。
昔の写真を探しました。 家の南側、浜本工芸との間に空き地があったのですが、 ゴム動力の模型飛行機を飛ばしている私の写真が見つかりました。
浜本工芸の工場の向こうにコンクリートのプラントが見えます。
返事を書いてくださった浜本工芸の方によると、
「偶然ですが、現在、出島にある弊社工場のすぐ近くにも
コンクリートのプラントがございます」 とのことでした。




2026年10月16日金曜日

AIに質問したのだが…

 

設問は回答からわかると思うので省きますが、
当初回答はつぎのとおり(2026年7月23日)。
坂本九が歌った**最初のシングルレコード
(1961年10月発売・東芝レコード JP-5083)**の
「上を向いて歩こう」は、
**ヘ長調(Fメジャー)**です。 楽譜や演奏では後年さまざまなキーに移調されていますが、
オリジナル盤は次のような特徴があります。 オリジナルキー:Fメジャー(ヘ長調) 音域(おおよそ):C4(中央ハ)~D5程度 坂本九の柔らかく自然な声域に合うように設定されています。 なお、ジャズや吹奏楽では演奏しやすさから Cメジャー(ハ長調) E♭メジャー Gメジャー などに移調されることがよくあります。 問題はこの録音、どう聞いてもト長調(Gメジャー)です。 音源は ココ にあり、アルバム冒頭の M-1 です。
実際に聴いた音は最初の録音だと思うが、
ピッチの微妙な誤差はあるとしてもト長調(Gメジャー)ではないのか?
と問い直したところ、
AIは即座に間違いを認め、
ト長調(Gメジャー)でしたと答えた。

ネット上の関連情報を調べて即答はするが、
安易に正解とは思わない方が良いという例になります。

AIがリリース音源を聴いてキーを判断して回答したのではなく、
リリース音源のキーを記載していると思われる文字情報を基に、
回答をアレンジしているからでしょう。

ネット上の情報(特にWIKIなど)は、
正しい内容かどうかの吟味はされていないことがある。

AIの回答にも注意が必要と感じた体験でした。