夕飯の焼きそばに「青のり」をかけようと思い、
そのパッケージをみると三島食品の製品。
広島の食品メーカで、
「ゆかり」とか各種のふりかけを作っています。
住所は吉島町(よしじままち)。
住所を入力して検索した地図を見ると、
生まれ育った家の隣にあった浜本工芸が
出島町(でじまちょう)に移転している。
原爆投下の頃に出島町はありませんが、
1960年頃から宇品町の先、
太田川の河口(広島湾)へ向け
埋め立てられた新しい町(土地)です。
国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」から
1960年頃の宇品町の航空写真(上)を入手。
これをトレースして解説用画像(左)を作り、
航空写真の説明をします。
生まれ育った家は 水産庁内海区水産研究所 の官舎。
住所は広島市宇品町1,334番地でした。
解説用画像で黒く塗った場所、1,334番地と書きました。
父はここから水産研究所へ通いました。
研究所の所長宅へ私はピアノを習いに通いました。
バス通りと書いた道路を広電バスと広島バスが走り、
私は広電バスで京橋川を渡り、千田小学校へ通いました。
太田川は広島市内で六本に分流します。
東から二番目が京橋川、三番目が元安川。
元安川上流にある相生橋は原爆投下の目標地点。
解説用画像斜線のエリアは貯木場、
航空写真では近くの水面にも材木が浮いています。
家の前の道の反対側は貯木場で、
材木市場もありました。
その上流に「憩いの家(1957~1992年
広島市宇品にあった原爆被爆者のための
精神的安らぎと保養を目的とした施設)」がありました。