2013年2月27日水曜日

良い波(2)

今朝は冷たい雨。ウォーキングは自粛して仕事をしていました。
午後になって曇ってはいますが雨は降りそうもないので海岸へ。






波がすごい!これ程の高い波は初めて。サーファーは楽しそう。







良い波に乗っています。あやかりたいものです。

2013年2月23日土曜日

良い波

一週間前「片瀬の海岸ではサーフィンを楽しむ人がいっぱい。ここ数ヶ月、私の人生も波乗り状態みたい。良い波来ると良いな」と書きました。
その後、少し良い波が来ています。乗り損ねない様にしなければなりません。
明日還暦を迎えます。還暦には感慨深いものがあります。
画像は三日前。この日珍しく午後の海岸を歩きました。太陽は強い日差しです。確実に春が来ています。

2013年2月19日火曜日

Hearts Music School(ハーツ・ミュージック・スクール)

私が音楽レッスンを始めたのはかなり前のことで最初はピアノのアレンジや和声学のレッスンでした。会場は知人の楽器店のピアノを借りていました。

その後、当時四谷にあった楽譜出版社(リットーミュージック)から依頼の仕事が増えたので千代田区二番町にある番町ハイムの一室を借りて雑誌や楽譜出版原稿を書く仕事も始めました。結婚後に近所のビルに移り仕事を続けましたが手狭でもあり防音室があるという文京区根津のマンションに移転しました。1983年のことです。私が引越して出た後の住民がお亡くなりになった立川談志師匠です。


この防音室、確かに壁を厚くして防音材を入れ(その分部屋は狭くなっている)、入口も頑丈な防音扉でしたが、照明はつくものの壁の電源が死んでいました。壁を厚くした際に電源をつながなかった様です。仕方なく天井の照明用電源を分岐して電源を取りましたが、ピアノだけのレッスンでは無くてシーケンサ(当時はパソコンよりは YAMAHA QX-1 の時代)や各種キーボードを使用する音楽環境ですから明らかに欠陥防音室でした。

何はともあれ専用の音楽スタジオを得たことで音楽レッスンの仕事も拡充しました。音楽教室の名前は会社名のハーツ(Hearts)を冠してハーツ・ミュージック・スクール(Hearts Music School略称HMS)としました。

画像はその当時HMSの様子。防音扉の向こうにアップライトピアノ(左)とローズピアノ(右)が見えます。


その後も自宅でのレッスンは続けていましたが、最近ではヤマハミュージックセンター池袋(現在の名称はヤマハミュージックアベニュー池袋)とミュージックボックス秋葉原を会場とするレッスンだけになり、自宅でのレッスンはしていませんでした。そこにミュージックボックスの秋葉原から新宿への移転がありました。

音楽教室の会場が無くなることは死活問題。真剣に自宅開業を検討、ようやく新たな自宅(東京都板橋区前野町2丁目)を見つけました。

5月開講に向けその準備が進んでいます。この教室の名前は開業当時と同じハーツ・ミュージック・スクール(Hearts Music School略称HMS)としました。


ピアノ、ピアノ・アレンジ、作曲、編曲、音楽理論等々、私が教えられることは何でも対応します。

1レッスン45分の個人レッスン。
月三回のレッスンは月謝12,000円(税別)、単発の1レッスンは6,000円(税別)です。

趣味の教室なので日曜日の生徒が多いのですが、今後は曜日の指定が無くなります。通いやすい曜日と時間で対応致します。

今後ともよろしくお願い申し上げます。











2013年2月16日土曜日

My musical history(25)

私の音楽ヒストリー、今回も茅ヶ崎の話です。
古い写真の中に茅ヶ崎に住んでいた時代のものがありました。

これは私の仕事用離れの中。レコード・プレイヤー(ターン・テーブル)、その下にアンプ、その下にあるカセットテープ・レコーダは携帯型ですがステレオ入力でしたので、アーチストのバック・バンド(当時はサポートとかツアーの様な表現はありません)のステージ上、マイクを2本使い、左はピアノの中に向け右は外(ステージ)に向け録音しました。演奏中にヘッドフォンをすることはありませんでしたが、演奏後の自分の反省材料として聴いていました。
この写真の右端にあるAKAIのテープ・レコーダ(オープン・リール)は採譜の仕事に使用したものです。

これは母屋のピアノの所で採譜をしている場面。
AKAIのテープ・レコーダは自分で作った移動式ラックの中に斜めにマウントしています。



上にあるのはYAMAHAのカセットテープ・レコーダで回転を微妙に調整してビッチ調整ができました。

当時の採譜の仕事の音源はカセット・テープが多く、ピアノの調律とずれていることが多かったので、まずピアノの調律と合わせるためにYAMAHAで再生して必要があればピアノの調律に合わせて微調整、これをAKAIのレコーダにダビングしてから作業に入ります。

AKAIのレコーダは倍速再生(1オクターブ高くなるので主にベース・ラインを聴き取る)や半速再生(1オクターブ低くなりますが細かいフレーズ等を聴き取る)ことができました。

採譜という仕事の初期の作業の様子です。

2013年2月14日木曜日

浜辺の歌

昨朝と同じ場所から見た江ノ島。今日は曇天です。

鵠沼方面へ歩きました。この海岸線は初めてです。





「浜辺の歌」作詞場所という看板に出会いました。

すばらしい歌です。詞もすばらしい。

ただ私の場合、作曲をするからでしょうか、作曲を更に素晴らしいと感じます。特に中間部でメロディ中心音が半音上行するところ、コードとしてもオーギュメントを利用している部分を素敵に感じます。

この作曲を使い、さらに「浜千鳥」と「椰子の実」のメロディも加えた作品があります。
ピアノ連弾用に書いたもので「海辺の歌<浜辺の歌&浜千鳥>」と言います。
録音(試聴可能です)と楽譜(サンプルをご覧頂けます)が下記にあります。

http://www.at-elise.com/elise/JPDPHA00013/

8,800歩。

2013年2月13日水曜日

江ノ島の「猫の災難」?

天気予報によれば関東は雪(湘南は雨)でしたが、昨晩降った雨があがり今朝はとても良い天気でしたので海へ行きました。

江ノ島がまばゆい朝日でややぼやけて見えます。陽光が強いのではっきり見えない感じです。

最近有名になった、あの江ノ島の猫はどうしているでしょうね。現代版「猫の災難」かな。8,000歩。

2013年2月12日火曜日

梅の開花

近所の梅林の梅(2月5日投稿「膨らむ梅の蕾」)が咲き始めました。

明日の天気予報は雪。春に向けての梅の試練ですね。

2013年2月11日月曜日

江ノ島の猫

 今朝は日の出が綺麗でした。
久々に家族で江ノ島へ。

目的はあの有名な猫に会いに。

まず弁天様をお参りをしてから。
頂上近くまで行くとテレビのニュースで見慣れた場所に出ました。

猫はおおぜい居ましたがが、皆、「知らないよ…」ってさ。

話題の有名な猫には会えませんでした。12,000歩。

2013年2月9日土曜日

江ノ島

今朝は昨日の反対方向、朝日に向かって海岸を東へ江ノ島まで行きました。

海岸へ出る前に鵠沼伏見稲荷神社に参拝。
土曜日だからでしょうか、江ノ島の手前、片瀬の海岸ではサーフィンを楽しむ人がいっぱい。

ここ数ヶ月、私の人生も波乗り状態みたい。良い波来ると良いな。
いつも江ノ島へ渡る橋のたもとに居る猫に挨拶をして(植え込みの中にいます)、渡るのは断念して小田急で帰ってきました。

途中、小田急片瀬江ノ島駅までの歩数は8,000歩。

2013年2月8日金曜日

茅ヶ崎

今朝は昨日行った先、昔住んでいた茅ヶ崎へ向かいました。40年近く前のことです。

湘南新道を進むと海岸沿いの通りになります。合流地点の大きな歩道橋から茅ヶ崎方面を見ると富士山がきれい。



もちろん車道沿いではなく、海岸の遊歩道を歩きます。

烏帽子岩、向こうに伊豆大島、手前はサーフィンをする人々。











昔住んでいたところから一番近い海は海水浴場のあるところ。

冬の海は誰も居なくて何か物悲しい感じですね。

今日は茅ヶ崎からバスか電車で戻るつもりで思い切り歩きました。

乗車時間が短く本数が多いので東海道線に乗って帰ってきました。

途中、茅ヶ崎駅までの歩数は11,000歩。


2013年2月7日木曜日

汐見台


今朝は久々のウォーキング。湘南新道を茅ヶ崎方面へ歩きました。
途中、松下政経塾がありました。その存在、名前やだいたいの経緯などは知っていましたが藤沢市と茅ヶ崎市の市境の辺りにあるのですね。

茅ヶ崎市に入ると汐見台という地名、海辺に汐見台小学校がありました。
もう海は間近、地下道を潜って海岸へ出ます。


すると、まるで舞台のサス(舞台上から舞台を照らすサスペンション・ライト)があたっているかの様に江ノ島辺りが浮かび上がって見えました。
実に不思議な光景です。雲のわずかな合間から下向きの陽光がもれているのです。


海岸の遊歩道を歩いて辻堂へ戻りましたが、このサスはほどなくして暗転。またどんよりとした曇天になってしまいました。残念。10,000歩。

2013年2月5日火曜日

膨らむ梅の蕾

2月に入って気温の高い日が続きました。

買い物帰りに見た梅の木。
 蕾が膨らんでいました。
明日の天気予報は雪。

開花はその先になるのかな。

2013年2月1日金曜日

My musical history(24)

久しぶりに私の音楽ヒストリー。
湘南に(戻って)来たら、あの大スターのことを書かねばならないでしょう。
若い頃(私も茅ヶ崎に住んでいたのですが)、彼のステージでピアノを弾いたことがあります。
作曲家筆名が弾厚作、若大将こと加山雄三さんです。

トラ(エキストラの略から業界用語で代役や代演)で数回演奏しました。
数回のステージでしたが強烈な印象を受けました。
移動の車中でも彼の周囲には何か違う世界があるというか、オーラを感じるとはこう言う感じでしょう。
周囲に多くの人が居るのですが彼だけは別人と感じました。

私のパートで重要だったのはそのツアーで演奏した彼のオリジナル曲(ピアノ・コンチェルト)のオーケストラ・パートです。
ステージの上下(かみしも・上手と下手つまりステージの左右両方)に2台のピアノが置かれました。
私は伴奏部分(オーケストラ・パート)なので上手(かみて)つまり客席から見てステージ右側のピアノです。

ピアノという楽器は基本的に常に下手(しもて)つまり客席の左側に配置されます。
普段は下手で演奏しているので下手からステージを見てる訳ですが、その反対の景色になります。
上手でピアノを演奏することをすごく新鮮に感じたことも良く覚えています。

このピアノ協奏曲(ピアノ・コンチェルト)、加山雄三さんがお母様(小桜葉子さん)のために作曲したものでした。

先月のウォーキング記録を集計しました。
一日平均11,621歩。
今年は一日一万歩を目標に歩んで行きたいと思います。