2012年7月30日月曜日

細幅鍵盤について

 一昨日の投稿について、細幅鍵盤のピアノをお持ちのN氏(以前ウィーンからの便りをくれた方)からメールを頂きました。N氏にお許しを頂きましたのでご紹介したいと思います。「なるほど」と思います。

画像の説明の後にある「 」内がメール本文です。

画像とその説明を追加で頂きましたので2012年8月2日にこの記事内容を更新しています。画像の説明を先に掲載します。

ハンマー・アクション部は標準サイズ(幅)のまま、手前の鍵盤(つまり長い腕木)がそれぞれ細幅になっているので、先端部は「く」の字に曲がっているわけです。
標準サイズでも多少「く」の字になっていると思うのですが。細幅鍵盤の場合、両端の角度が強くなるわけです。
以前はトニカピアノなど、いくつかのメーカーが作っていました(おそらくブラザーは止めているでしょう)。現在は、少なくとも1社が作っています。




「細幅鍵盤については、いろいろ言いたいことがあります。

軟式野球、軟式テニスがあるように、細幅鍵盤ピアノがあるべきだと思っております(野球やテニス以上に)。
オクターブが届かないばっかりに、モーツァルトやベートーベンを諦めざるをえない(特に女性、白人にも少なくない)人びとがどれほどいるか。

→結論から言うと、0.95スケール、0.90スケール、0.85スケール等のピアノがグローバルにあるべきだと思います。技術的にはもちろん可能です。
小生がもっているピアノは、本体がアトラスピアノ。その鍵盤部分だけを入れ替えたブラザー・ピアノです。(したがって、ハンマーにつながる部分が全体的にやや放射状に拡がるわけです。)これが理想的であるとは思っていません。

音楽はオリンピックでもワールドカップでもないので、骨太のガタイのでかい奴らと肉弾戦をやる必要はないはず。(そもそも、世界を舞台に弾き歩くピアニストが、日本にどれほどいるか。内輪で楽しむために、必要な楽器は何なのか。)ピアノそのものが、日本ではサラウンド楽器であるべきです。

つまり、ヨーロッパのピアノは、大理石のサロン、基本的に石造の天井の高い(4,5㍍はざら)建物のなかで響くことを念頭に開発。またアメリカでは、だだっぴろいホールに響き渡る(スタインウェイ)ように開発設計。そんなものが、木造2階建てが基本の日本の住宅に合うわけがないです。ピアノ殺人事件も起きかねません…。
ひとむかし前の普及時には、そんな欧米の雰囲気にあこがれた要素もあったでしょうが、いざ定着するかとなると、よほどの金持ちでなければ、日常生活でゆったりピアノを楽しむことなどできはしない。(それゆえ富士楽器がご家庭のピアノを集めてどこかに転売している。)日本では、せいぜいピアノの手前3メートルぐらいで数名が響きを共有できる構造・設計でないと、定着しえないと思います(今のピアノは、本人に聞こえずに、後方、下方に響く)。あるいは三味線と尺八に転向するか。
くどいようですが、小生の海外学術調査の過程で分かったのは、ドイツ系の住宅の地上階の外壁は、65㎝の厚さ、4階でも50㎝です。わがマンションは6階で20㎝足らずです。住宅が違いすぎます。

えーと、疲れたのでこの辺でやめます。」

2012年7月28日土曜日

My musical history(21)

最初に楽譜の仕事をしたのは、採譜でした。
オスカー・ピーターソンでした。
とにかくびっくりしたのはその手の大きさ。

彼はA♭メジャーを愛好する様に思いますが、ドミナント・セブンス・コードであるE♭7、これを左手で弾くとき、ひんぱんにテンスのコーダル・ベースを演奏します。


一番下にrootのE♭音(5指)、その上に7thのD♭音(2指)、その上に3rdのG音(1指)、これを一気に演奏します。私は残念ながら届きません…。


テンスは10度音程。コード・ハーモニーの重要な要素であるrootと3rdの3度音程を低音域に密集位置(クローズ)で弾くと響きが濁るのでオクターブ以上になる10度に配置します。近い位置では無くオクターブ以上に広げるので開離位置とかオープンと言います。更にその間に7thも加えてオスカー・ピーターソンは軽々と演奏します。 


私もテンスを弾こうと練習を始め、少しずつ使える様になりました。少しずつ手を広げると手は成長し鍛えられる様です。

同じテンスでも狭いもの、例えばB♭m7なら可能になりました。
次に広いテンス、これが一番多いのですが、これも使える様になりました。画像はCコードです。

しかしついにE♭7は無理でした。
オスカー・ピーターソンは大きな人です。来日の際に近くで見ましたが、巨人です。手も大きいのです。最初の採譜で気づきました。



世の中に細幅鍵盤というのがあるそうです。
中田喜直が普及に努力したそうですが、実際には普及しませんでした。
細幅鍵盤のアップライトピアノを所持する人を知っています。見たことは無いのですが…。問題はご自宅の細幅鍵盤ピアノで弾けたとして、他所のピアノは標準サイズですから苦労する。その苦労を見ました。細幅鍵盤のピアノを持ち歩くのは難しいでしょう。
標準サイズの鍵盤に慣れるしか無いのでは…って思いました。
細幅鍵盤なら私もE♭7のオープン・テンスが届くかな…。

2012年7月27日金曜日

Summer Live 2012 まであと一月

毎年恒例となった夏の終わりの「Summer Live 2012」、
教室の生徒さんによる発表会ライブです。
参加者の演奏内容が決定されました。
後はよく練習をして当日よい演奏を楽しんで欲しいなと思います。
本番は8月26日(日)です。

私は再びインターネットからのダウンロード楽譜と音の制作に戻っています。
元気にやっています。

2012年7月26日木曜日

My musical history(20)

20代前半の音楽についての話。
ライブ活動から作曲の勉強に転進です。。

故管野光亮先生に個人的に師事、先生の音楽制作の手伝いをしながら和声法と対位法を学びました。そして毎年、東京芸術大学音楽学部作曲科を受験しましたがなかなか合格できませんでした。
ある日、管野先生がこうおっしゃいました。
「一度、長谷川先生に見てもらえ。連絡をしておくから。」
管野先生は長谷川良夫先生の門下生でした。長谷川先生は退官されていたと思いますが芸大の作曲科で教授をされ、名著「大和声楽教程」など、私が学んだ教本の著者でした。

管野先生に教わった通りの準備をして、新百合ヶ丘のお宅を訪ね、作品などを見て頂きました。長谷川先生に教わったのはこの一回だけでした。しかし印象的なレッスンでした。

小一時間のレッスンの内、先生がおっしゃったことで印象的だった記憶に残るお言葉を書きます。
「管野君の弟子か…。君はもう管野君のもとで仕事をしているのだろう?現場に出ているならこれから芸大に入る必要は無いと思うが。
芸大の受験者の多くの目的はわかるか?作曲家になりたいというよりは先生になりたいのだよ。大学や高校の音楽の先生ってことだ。君の様な人の志望とは少し違うのだよ…。」
これは少々驚きでした。他の受験者のことなど考えてみたこともありませんでした。
そして作品についてはもう少し芸大の問題に向けた対策が必要だという示唆をくれましたし、管野先生の時代とは違って今は問題の採点も厳密だと説明してくれました。
「芸大は国立大学だから納税者に対して合否判定の客観性(透明性)を求められる。仮にAさん82点、Bさん80点、Bさんはボーダー・ラインを超えていません…という様なことだ(この点数については記憶が無いので私が創作しました)。」

この後、芸大受験3回目だったと思いますが、一次試験の最初の和声を合格、一次試験の第二次である対位法を合格、一次試験の最後のソナタで落ちてしまいました。
それでも芸大の現在の教科書にある階梯導入とか上下の声部の組み合わせなど和声の課題パターンもわかり、受けた問題にある落とし穴(ここでこう書くと減点だなという理解)も回答中にわかる様になりました。本科は一次試験の最終で落ちてしまったのですが、別科の方も受け、これはバス課題とソプラノ課題の和声課題、60名強の受験生の中の合格(2名定員)に入りました。競争率30倍というのはなかなかの数字ですね。


長谷川先生のおっしゃったこと、自分の理解度を考えたとき、この別科合格を自分として芸大受験卒業と考えることにしました。誠に勝手なことですがこれ以上は時間の無駄…の様にも思ったのでした。

その後は、実際の音楽制作(作曲や編曲や演奏)とか、楽譜や書籍の執筆、教える現場、とにかく現場でより鍛えて行く途を選びましたし、現場には恵まれました。
和声法も自信を持って後進への指導を行うことができる様になりました。

管野先生、長谷川先生、本当に感謝をしております。今後も精進を続けたいと思います。
画像は当時出た長谷川先生の作品を収録したLP。管野先生もこのリリースに尽力されたと聞きました。

2012年7月25日水曜日

My musical history(19)

前回 mobby(まびい)のライブについて書きました。
その後バンドで仕事を依頼されることが増えました。
つまり、アレンジを含め私がピアノを演奏、メンバーを集めてバンドを編成しライブやコンサートの伴奏をして欲しいという内容です。そのバンドの母体となったのがまびいの時のメンバーでした。

唯一残っているチラシを見つけました。
宝塚声楽専科明日香都さんのコンサートです。
彼女の歌、色々な場面で伴奏をしました。
素敵な歌声と歌です。今はどうしているかな。

しかし不思議なチラシです。
音楽関係者は私一人です。
彼女を取り巻くスタッフは音楽以外、実際にはこの方々が縁の下の力持ちとして重要なのですが、いつもであればあまり前面に出ない仕事の責任者です。
統括はプロデューサの田村光男さんです。

彼はまびいのLPのプロデューサですが、現れる時、いつもニコニコ顔で最初に必ず「よう!」と言うので、皆は「よーさん」と呼んでいました。
まびいのLPのレーベルにStationとありますが、その後ステーションという会社を設立、現在でもご活躍です。
会社のホームページにリンクしてよいかはこれから問い合わせてみましょう。

2012年7月23日月曜日

My musical history(18)

今回は20代のライブハウス出演編です。
それは自身のライブではなくmobby(まびい)という女性シンガーのライブでした。
この画像は渋谷ジァン・ジァンですが、新宿や荻窪や西荻窪のロフト、画廊でのライブとか自由劇場、演劇の幕間の歌とか…、色々なところで伴奏をしました。
作曲は私のクラスメイト2名の他、彼女の知人や友人が担当、私はバンドにおけるピアノや時にはピアノだけで歌の伴奏を担当しました。
打上は新宿ゴールデン街の小茶(字はあっているかな?)。二階に大勢人が上がって床が抜けた…、とか、色々伝説的なエピソードがあります。
杉並テイチクスタジオで録音、LP(左)も制作されました。



彼女の晩年についてはよくわかりませんが、電話がかかってきたことがあり、色々な話を聞いてあげることはできたのですが…。
彼女の訃報に関係者が集まったこともありました。



当時の演奏メンバーや作曲者で現在も活躍している人が居ます。
これから連絡をしてみて、リンクが可能とのことでしたら、この投稿を上げた後に記事とリンクを追加してゆこうと考えています。


さてそのリンク先です(2012年7月24日更新)

八木のぶおさん(ブルースハープ)

当時の演奏メンバーの中でまびいの次に人気ものでした。現在も元気に演奏活動をされています。

http://sound.jp/yagi-nobuo/

松本亮さん(ドラムス)

彼とはその後、色々なツアーバンド、私のピアノ・トリオ、一緒に演奏をしました。現在も元気に演奏活動をされています。

http://www.koperniks.com/mzm/


(2012年7月29日更新)

内山有希夫さん(作曲・アルトサックスやリコーダー)

ビッグバンドなど大編成のグループを率いて音楽活動を続けておられます。

★MUSIC MAGIC ORCHESTRA(1982-2010)
http://www.rhythmhouse.co.jp/mmo/

★もんなかもんじゃオーケストラ(2001-)
http://oke.monnaka-monja.com/

★浅草うららオーケストラ(2007-)
http://asakusaurara.web.fc2.com/home.html

2012年7月22日日曜日

My musical history(17)

「モンテカルロ」のバンドは数週間しか居なかったのに、ハコバンド初体験ということもあってか色々思い出すことがあります。
ある日、突然ベースの人が来なくなりました。原因は知りませんが、ベースが居ないとバンドは困ります。急遽バリトンサックスの人がベースを演奏したのですが…。
フロアのダンスにしても、ショーにしても、とにかくポピュラー音楽のバンドでベース不在というのは有り得ない状況でした。
「モンテカルロ」と「銀座並木通り」でネット検索をすると、屋上にサイコロの形をしたネオンサインがあったとか小林旭主演の映画で良く使われたというブログに出会いましたが、この辺りはわかりません。
店の表から入ったことも無いしステージから客席を見ても照明の関係で暗くてわからずどんな店内だったかもわからない。覚えているのはステージとその裏の楽屋だけです。
楽屋にはバンドマン(世間はこう呼びますが自分達は楽隊(ガクタイ)と称した)だけが居ますが、ある日ショーの出演者が2名舞台袖(楽屋と直結している)で準備をしている。
ショー出演者用楽屋に入らず舞台袖で準備する内容。それは独特の臭気が…。食用油の臭いです。食用油で全身を金色にする「金粉ショー」です。
皮膚呼吸ができないから長時間そのままだと危ないそうで、ショーの直前に塗ってまた落とすのだとか。
ダンスを踊るという風ではないのでバンドも不要。伴奏した記憶はありません。静かなものですが、臭いが…。普段は楽屋に居るメンバーもこの日は皆、外へ出てしまうのでした。音楽と無関係ですが何か妙に思い出されました。
画像は夜の銀座というのも難しいので、思い切り健康的に最近の朝のウォーキング途中にしました。制作が超忙しかったのも一段落。次回はライブハウス出演編を書こうと思います。

2012年7月20日金曜日

新しい本ができました!(2)

タイトルは「ピアノ雑学100」

副題は「ピアノがもっと好きになる!」

帯には「楽器の王様『ピアノ』の魅力がまるわかり!
意外と知らなくて今さら人には聞けないピアノの構造や歴史、
演奏力アップのコツ、クラシック・ジャズ・ポップス…ジャンルを超えて
活躍するピアノの幅広い知識がこの一冊で身に付きます。」


発行所はシンコーミュージック・エンタテイメント
この本のページは下記にあります

http://www.shinko-music.co.jp/main/ProductDetail.do?pid=0636988


執筆陣の一角(6/100)ですが、次のテーマを執筆しました。


PART 3 ピアニストと奏法

・君もピアニストになれる!?

057 練習の基本は「ゆっくり正確に弾くこと」
058 定番の教則本とは?
059 独学でも上達できる?
060 読譜力と暗譜力
061 筋力と脱力
062 絶対音感は必要?


いずれもマジなテーマで原稿の執筆を依頼され、真剣に悩み、そして考え、執筆しました。ピアノを演奏してきた自分のこと、ピアノを学ぶ方々に手ほどきをしている自分のこと、そんな音楽人生の一部の再発見の様になりました。
大変な思いをしましたが、とても良い仕事をすることができました。

ぜひ手にとってご覧ください。

そして座右の本に?して欲しいなと思います。

もう一冊も近々出版されます。(3)を投稿する日が楽しみです。

2012年7月18日水曜日

新しい本ができました !

タイトルは「コード弾きソロ・ピアノ『超』入門」

発行所はゲイン
発売元はシンコーミュージック・エンタテイメント
この本のページは下記にあります

http://www.shinko-music.co.jp/main/ProductDetail.do?pid=1749006

表紙と背表紙にあるキャッチ・コピーは

ポップスの名曲を自由に弾きこなすコツがわかる!
初心者レベル/再チャレンジ大歓迎!
もちろんCD付きです。

次の本も明日原稿を出版社に送る予定です。
ようやく「超」忙しかった時期が終わりに近づきました。
またブログの投稿を以前のペースで再開したいと思っています。

2012年7月9日月曜日

My musical history(16)

「モンテカルロ」に出演していたバンドのリーダー白磯タケル(哮)さんが演奏するトランペットは本当に素晴らしいものでした。私が中学1年の時、少しだけトライした楽器でしたから、あんな風に吹けたらいいなって、憧れの思いで見ていました。
このバンドはナインピースでした。トランペット2、トロンボーン1、サックス3、3リズム(ピアノ、ベース、ドラムス)の9人編成です。
フルバンドはトランペット4、トロンボーン4、サックス5、4リズム(ピアノ、ギター、ベース、ドラムス)の17人編成ですからフルバンドより6人少ない編成です。編成は少ないけれど上手なプレイヤーが揃えば本当に素晴らしいサウンドになります。
ショーに出演する歌手やダンサー達はフルバンド用にアレンジされた楽譜を持ち歩きますが、ナインピースでも十分に響くアレンジの場合とそうではない場合がありました。
フルバンドより編成が小さい場合を歯抜け(はぬけ)の編成と言いますが、歯抜けでも十分に響かせるためのコツがあります。どんな編成のバンドでも鳴る(響くという意味)アレンジが実用的かつ上手なアレンジ。フルバンドは編成が大きいので書くのは簡単ですが歯抜けでも鳴るアレンジが書けないとアレンジャー失格かなって思います。
ホーン・セクションはトランペットの1番(ファースト)と2番(セカンド)とトロンボーンの1番の3パートで響く配置を先に書きます。歯抜けでもこの3本で鳴る様にするのです。クローズであれ、オープンであれ、4度の重ねであれ、一番重要な骨格をこの3本で鳴る様に書くのです。その上でフルバンドの場合のそれぞれのセクション、トランペット4本、トロンボーン4本の場合の配置を考えて行きます。
トランペットの1番をトップとして2番、3番、4番と単純に上から順に配置する書き方ではありませんから結果的に3番が1番と2番の間に配置される様なことが増えます。
サックスは基本的に5本でオープンな配置(スプレッド)にしますが、アルトの1番とテナーの1番とバリトンの3本でまず響く様に書いてからこれにアルトとテナーを各1追加して5声にします。例えばセブンス・コードやマイナーセブンス・コード、ルートをバリトン、サードとセブンスがうまく織り成すラインをアルトの1番とテナーの1番に配置する様に書きます。

「ブルー・パシフィック」のリーダー佐野博美さんはいわゆるマルチ・リードのプレイヤーです。基本となるアルト・サックスの他、ソプラノ・サックス(この音色が絶品)、テナー・サックスも演奏します。佐野さんのサックスは音色も演奏も素晴らしいものです。
このバンドはサックス3本(アルト1、テナー1、バリトン1)を基本として3リズムが支えますが、全員フルートの持ち替えができるので、フルート3本編成で演奏する場合もありました。通常のフルート(C管)3本の場合もあり、また1人がアルト・フルートになる場合(これは深みのあるリッチな響き)もありました。

ハコのバンドは、どこでもそうですが、自分のバンドの演奏用楽譜を所持しています。それはA、B、C、の様にいくつかのバインダーに整理されています。曲名で次の曲を指示することは少なく、Aの5番、Cの16番、Bの3番、という風にバインダーの別とその中に並べてある順番(それぞれ番号順に並べておきます)で曲が指示されます。これを事前に準備しておいて演奏して行きますが、演奏しながらこれを取り出しつつ次の演奏に備えてゆく作業が新人にはうまく行かず、最初は大変でした。演奏の後に順番に戻しておかないと次のステージや次の日にも影響します。整理のできない人は次の楽譜が出てこないことになります。流石に数多いレパートリーを暗譜などできませんし、ショーの楽譜同様に新人にとって最初の内は初見ばかり続きます。佐野さんのバンドには私もいくつかアレンジを提供しました。色々試してみることができて勉強にもなりました。この画像は私のアレンジではありませんが、レパートリーからはずされた際に記念に一枚もらったものです。

2012年7月5日木曜日

Where have the flowers gone ?

次の制作作業は順調に進行していますが投稿の余裕はなかなか…。
先月26日のことです。朝のウォーキングで久々に北野方面へ行きました。
ひまわりとコスモスの様子を見に行ったのです。

しかし、ひまわりもコスモスも何もありませんでした。
画像は毎年ひまわりを植えていた場所です。
止めてしまったのかな…。残念。

先月はあまり歩けませんでしたが、それでも一日平均9,067歩、上出来と思います。
続けられることは続けて行きたいものです。

2012年7月2日月曜日

My musical history(15)


アシュラダムはビータのバンドでした。
バンドでも同じ場所に出演するのがハコの仕事です。ハコは恐らく箱、公共施設をハコものなんて言いますしね。ハコのバンド(短くハコバンと言います)の経験が少しだけあります。

ハコバンのリーダーは多くの場合、管楽器のスター・プレイヤーでした。
リーダーはスタジオの仕事もしていて、スタジオの仕事が予定通り終わらないと最初のステージに間に合わないこともありました。
リーダー不在でもバンドの演奏に問題は生じませんが、バンドの入る店は2回目と3回目のステージで毎日日替わりのショーがあり、2ステージ前の打合せにはリーダーが駆けつけて来ました。
打合せはメンバーが集まり、各パートの楽譜を見ながらテンポの確認をします。楽譜だけ見て事前のリハーサルなんてありません。バンドの編成が合わない場合は重要なメロディをどのパートが代わりに演奏するか調整します。
編成の小さなバンドでもフル・バンドの譜面で演奏します。リーダーは他楽器用の楽譜を即座に移調して(読み替えと言う)演奏できる達人であり、正確にテンポを把握して指揮をしました。
テンポ確認で覚えたテクニックがあります。歌い手さんや踊り子さんにどの位のテンポか手拍子を打ってもらいますが、腕時計を見て10秒間の拍数を計ります。その6倍がメトロノーム表記になります。10秒間に12拍なら72(アンダンテ)、20拍なら120(マーチ)ですね。

銀座並木通り「モンテカルロ」には、トランペットのスター・プレーヤー、白磯タケル(哮と記載された場合もありましたがカタカナ表記だったと記憶しています)さんが率いるナイン・ピースのバンドが出演していました。






品川駅前ホテル・パシフィック最上階「ブルー・パシフィック」には、サックスのスター・プレーヤー、佐野博美さんが率いるシックス・ピースのバンドが出演していました。

どちらも数週間通ってピアノを演奏しましたが、音楽面でもバンドマン生活面でも、実に貴重な体験をしました。画像は現在のグーグル地図のストリート・ビューです。

佐野博美さんからは後日、岸洋子さんのツアーの仕事を頂くことになりましたが、これは後日投稿するつもりです。