20代前半の音楽についての話。
ライブ活動から作曲の勉強に転進です。。
故管野光亮先生に個人的に師事、先生の音楽制作の手伝いをしながら和声法と対位法を学びました。そして毎年、東京芸術大学音楽学部作曲科を受験しましたがなかなか合格できませんでした。
ある日、管野先生がこうおっしゃいました。
「一度、長谷川先生に見てもらえ。連絡をしておくから。」
管野先生は長谷川良夫先生の門下生でした。長谷川先生は退官されていたと思いますが芸大の作曲科で教授をされ、名著「大和声楽教程」など、私が学んだ教本の著者でした。
管野先生に教わった通りの準備をして、新百合ヶ丘のお宅を訪ね、作品などを見て頂きました。長谷川先生に教わったのはこの一回だけでした。しかし印象的なレッスンでした。
小一時間のレッスンの内、先生がおっしゃったことで印象的だった記憶に残るお言葉を書きます。
「管野君の弟子か…。君はもう管野君のもとで仕事をしているのだろう?現場に出ているならこれから芸大に入る必要は無いと思うが。
芸大の受験者の多くの目的はわかるか?作曲家になりたいというよりは先生になりたいのだよ。大学や高校の音楽の先生ってことだ。君の様な人の志望とは少し違うのだよ…。」
これは少々驚きでした。他の受験者のことなど考えてみたこともありませんでした。
そして作品についてはもう少し芸大の問題に向けた対策が必要だという示唆をくれましたし、管野先生の時代とは違って今は問題の採点も厳密だと説明してくれました。
「芸大は国立大学だから納税者に対して合否判定の客観性(透明性)を求められる。仮にAさん82点、Bさん80点、Bさんはボーダー・ラインを超えていません…という様なことだ(この点数については記憶が無いので私が創作しました)。」
この後、芸大受験3回目だったと思いますが、一次試験の最初の和声を合格、一次試験の第二次である対位法を合格、一次試験の最後のソナタで落ちてしまいました。
それでも芸大の現在の教科書にある階梯導入とか上下の声部の組み合わせなど和声の課題パターンもわかり、受けた問題にある落とし穴(ここでこう書くと減点だなという理解)も回答中にわかる様になりました。本科は一次試験の最終で落ちてしまったのですが、別科の方も受け、これはバス課題とソプラノ課題の和声課題、60名強の受験生の中の合格(2名定員)に入りました。競争率30倍というのはなかなかの数字ですね。
長谷川先生のおっしゃったこと、自分の理解度を考えたとき、この別科合格を自分として芸大受験卒業と考えることにしました。誠に勝手なことですがこれ以上は時間の無駄…の様にも思ったのでした。
その後は、実際の音楽制作(作曲や編曲や演奏)とか、楽譜や書籍の執筆、教える現場、とにかく現場でより鍛えて行く途を選びましたし、現場には恵まれました。
和声法も自信を持って後進への指導を行うことができる様になりました。
管野先生、長谷川先生、本当に感謝をしております。今後も精進を続けたいと思います。
画像は当時出た長谷川先生の作品を収録したLP。管野先生もこのリリースに尽力されたと聞きました。
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