2012年5月28日月曜日
My musical history(11)
ネム音楽院を1年で中退、東京に戻った私は、財団法人ヤマハ音楽振興会におけるアルバイト(ポピュラー音楽のグレード範例曲集の制作協力)とか、ピアノ演奏(ソロだけでは無く多くのアーチストのツアー・サポートをしましたがこれは後日色々書きます)の仕事をする傍ら、管野光亮先生に作曲法を教えて頂きました。
先生のお仕事を手伝うのが条件の無料レッスンでしたが丁寧に教えてくださいました。
お手伝いの内容というのは各種録音の際のパート譜の写譜が多かったです。
先生が作曲家としてどんどん売れて行くにつれ仕事も増えました。
その音楽制作現場では少しずつ編曲も任される様になりました。
レッスンは先生の仕事場にうかがうことが多く、活躍される各種現場を見学することもできたのです。
財団法人ヤマハ音楽振興会(当時は恵比寿駅前)の教室だったり、テレビ神奈川のお昼の番組の収録スタジオ楽屋だったり、出演各種ステージの楽屋だったり、本当に色々でした。
プロの演奏や制作現場に入ることができた上に、作曲法(和声学や対位法)も教えて頂けた訳で、こうして今思い返すと何と素晴らしいレッスンだったことか。
単なる作曲法のレッスンだけではなく、プロの作曲家でありピアニストである先生の音楽活動を近くで色々見聞することもできたのでした。
こんなことは望んでもなかなか得られないチャンスであり経験です。
管野先生には深く深く感謝しています。若くしてお亡くなりになりましたが、誠に惜しいことでした。
管野先生、本当にお世話になりました。
衷心より改めて合掌。
さてその教材と実習ノートです。
長谷川良夫著「大和声学教程(俗にダイワ)」と私の実習ノート。東京芸術大学受験のためにいわゆる芸大和声もやりましたが、メカニカルでつまらないテキストでした。この辺りのお話は実際に長谷川良夫先生に受けたレッスン体験と合わせて近日中に書こうと思います。
芸大和声も完了して最後はフォーシェという作曲家が書いた問題になりました。これは実に面白かった。和声学の楽しさにすっかりはまってしまいました。
それ以上にはまったのが対位法です。長谷川良夫著「対位法」が主要なテキストでしたが、フーガの作曲については管野先生ご自身が書かれたテキストも使いました。フーガを書くのは実に楽しい実習でした。
2012年5月25日金曜日
My musical history(10)
ネム音楽院でポピュラー・ピアノを教えてくれた管野光亮先生(故人)から「ここにもう1年いても仕方ないだろう。仕事を手伝ってくれたら作曲法は個人的に教えるから…」とのお誘いを受け、2年履修課程の途中1年で中退して東京に戻りました。
しかしネム音楽院の1年は良い勉強になりました。特にジャズ方面の理論は当時の最先端の内容でした。
これはジャズ理論界のバイブル「ジャズ・スタディ」です。この本については下記に投稿があります。
http://heartsmusicblog.blogspot.jp/2011/04/blog-post.html
この本そのものでは無く、当時制作中だったより詳しいテキストの原稿(手書きのコピー)で教えて頂きました。
左がその画像ですが後日通信教育用テキストになったもの(16分冊)で、非常に細かく「ジャズ・スタディ」の内容に基づいた実践的内容でした。
そして管弦楽法はジャズ・サウンド!ヘンリー・マンシーニの名著「Sounds And Scores」、この翻訳原稿(これも手書きのコピー)で教えて頂きました。
これらジャズ方面の理論を学んだ後、管野先生のアドバイスもあり本格的にクラシックの和声学と対位法を学びます。私にとってこの順は実に良かった。双方の良い面と悪い面が実によくわかりました。
この辺りはまた後日書きましょう。
しかしネム音楽院の1年は良い勉強になりました。特にジャズ方面の理論は当時の最先端の内容でした。
これはジャズ理論界のバイブル「ジャズ・スタディ」です。この本については下記に投稿があります。
http://heartsmusicblog.blogspot.jp/2011/04/blog-post.html
この本そのものでは無く、当時制作中だったより詳しいテキストの原稿(手書きのコピー)で教えて頂きました。
左がその画像ですが後日通信教育用テキストになったもの(16分冊)で、非常に細かく「ジャズ・スタディ」の内容に基づいた実践的内容でした。
そして管弦楽法はジャズ・サウンド!ヘンリー・マンシーニの名著「Sounds And Scores」、この翻訳原稿(これも手書きのコピー)で教えて頂きました。
これらジャズ方面の理論を学んだ後、管野先生のアドバイスもあり本格的にクラシックの和声学と対位法を学びます。私にとってこの順は実に良かった。双方の良い面と悪い面が実によくわかりました。
この辺りはまた後日書きましょう。
2012年5月24日木曜日
ムラサキの花満開
まだ蕾もありますがいっぱい咲いています。
白くて小さいですがいっぱいあると可憐な感じがします。
昔は武蔵野にも自生していたそうですが、今はひっそり。
今後も純粋和種保存の活動に協力したいと思います。
紫友同窓会(東京都立小石川高校の同窓会)ホームページでもこの十年近くのムラサキ栽培プロジェクトについて新たな報告と交流のページを準備中です 。
近所の茶畑はどこも頂上だけ機械で刈られて周辺だけが残っています。
今は茶摘娘なんて見かけません。
観光目的ではやっているのでしょうが、この辺りは機械で刈っています。
今朝は7,000歩程歩きました。
白くて小さいですがいっぱいあると可憐な感じがします。
昔は武蔵野にも自生していたそうですが、今はひっそり。
今後も純粋和種保存の活動に協力したいと思います。
紫友同窓会(東京都立小石川高校の同窓会)ホームページでもこの十年近くのムラサキ栽培プロジェクトについて新たな報告と交流のページを準備中です 。
近所の茶畑はどこも頂上だけ機械で刈られて周辺だけが残っています。
今は茶摘娘なんて見かけません。
観光目的ではやっているのでしょうが、この辺りは機械で刈っています。
今朝は7,000歩程歩きました。
2012年5月23日水曜日
最近購入した本とアプリ
21日(月)ミュージックアベニュー池袋の楽譜や本の売場で見つけました。
以前ここの録音スタジオ(現在は業務をやめてしまった)のエンジニア、各種録音で随分とお世話になり、教室の発表会の音響も毎年お願いしていますから生徒さんにもすっかりお馴染みの角(すみ)さんの本です。購入後に生徒さんにお見せしたところ、直ぐ購入予約をされた方も居ました。
楽器入門はギターからピアノへそして録音はプロの録音スタジオから宅録(たくろく)へという様な時代の流れを感じます。
この本を購入したこと、そして出版おめでとうとメールをしたところ角さんからお返事がありました。
「林様 お世話になっております。
私が初めて執筆しました本のご購入ありがとうございました。
おかげさまで現在第3版までいっており、7月にはまた新しい本を出版する予定です。
今年の夏の発表会で新作をご紹介できればと思っております。
ブログでのリンクはリットーミュージックかアマゾンのページでお願いします。
8月の発表会楽しみしております。」
という訳でこの本の詳しい内容やご購入は下記へ行ってください。
http://www.rittor-music.co.jp/books/10317338.html
20日(日)に購入したアプリです。
MusicVoxAKIHABARAの店頭で少し試してみてから購入しました。
教室の生徒さんがアーチストの録音に合わせて練習する際、冒頭に予備拍のクリック音を加えたり、曲中も必要に応じてクリック音を重ねて練習用の音を作ります。更にMMO(いわゆるカラオケ音)を新たに作ったりしますが、ピアノ弾き歌いの練習用にボーカル部分を消せたら、と考えたのです。
昨日試してみたらまずまず使えそうです。早速T.K.さんとK.U.さんに録音してお送りしました。
以前ここの録音スタジオ(現在は業務をやめてしまった)のエンジニア、各種録音で随分とお世話になり、教室の発表会の音響も毎年お願いしていますから生徒さんにもすっかりお馴染みの角(すみ)さんの本です。購入後に生徒さんにお見せしたところ、直ぐ購入予約をされた方も居ました。
楽器入門はギターからピアノへそして録音はプロの録音スタジオから宅録(たくろく)へという様な時代の流れを感じます。
この本を購入したこと、そして出版おめでとうとメールをしたところ角さんからお返事がありました。
「林様 お世話になっております。
私が初めて執筆しました本のご購入ありがとうございました。
おかげさまで現在第3版までいっており、7月にはまた新しい本を出版する予定です。
今年の夏の発表会で新作をご紹介できればと思っております。
ブログでのリンクはリットーミュージックかアマゾンのページでお願いします。
8月の発表会楽しみしております。」
という訳でこの本の詳しい内容やご購入は下記へ行ってください。
http://www.rittor-music.co.jp/books/10317338.html
20日(日)に購入したアプリです。
MusicVoxAKIHABARAの店頭で少し試してみてから購入しました。
教室の生徒さんがアーチストの録音に合わせて練習する際、冒頭に予備拍のクリック音を加えたり、曲中も必要に応じてクリック音を重ねて練習用の音を作ります。更にMMO(いわゆるカラオケ音)を新たに作ったりしますが、ピアノ弾き歌いの練習用にボーカル部分を消せたら、と考えたのです。
昨日試してみたらまずまず使えそうです。早速T.K.さんとK.U.さんに録音してお送りしました。
2012年5月20日日曜日
My musical history(9)
プロとしての演奏はいつからだろうと記憶をたどってみました。
ネム音楽院在学中に鳥羽国際ホテル・シーホースで演奏して欲しいと言われてタクシーで往復したことがありました。ギャラも頂戴しましたし交通費も自弁ではありませんでした。合歓の郷から鳥羽は結構遠いのですが…。昼間ではなく夜間のステージでした。暗い道を往復したことを覚えています。
愛知県西尾市にオープンした確かシルビアという店のピアノを弾いて欲しいというのでしばらく行っていたこともありました。冬休みだった様な記憶があります。ということはまだ20歳になっていません。
ポピュラー・ピアノのソロ演奏に関しては19歳デビューということになります。
上は当時使っていたメロディ譜のメモ帳(手書きです)、楽譜が見えているのはローラ・ニーロの「Wedding Bells Blues」です。当時よく弾いていました。
他の二冊は海賊版のメロディ集、もちろん最近は使用していません。何故ならこれらは著作権法に違反しているからです。
ネム音楽院在学中に鳥羽国際ホテル・シーホースで演奏して欲しいと言われてタクシーで往復したことがありました。ギャラも頂戴しましたし交通費も自弁ではありませんでした。合歓の郷から鳥羽は結構遠いのですが…。昼間ではなく夜間のステージでした。暗い道を往復したことを覚えています。
愛知県西尾市にオープンした確かシルビアという店のピアノを弾いて欲しいというのでしばらく行っていたこともありました。冬休みだった様な記憶があります。ということはまだ20歳になっていません。
ポピュラー・ピアノのソロ演奏に関しては19歳デビューということになります。
上は当時使っていたメロディ譜のメモ帳(手書きです)、楽譜が見えているのはローラ・ニーロの「Wedding Bells Blues」です。当時よく弾いていました。
他の二冊は海賊版のメロディ集、もちろん最近は使用していません。何故ならこれらは著作権法に違反しているからです。
2012年5月19日土曜日
My musical history(8)
東京都立小石川高等学校に在学中、父は真珠研究所に転勤となりました。三重県志摩郡阿児町賢島にあった水産研究所で、真珠業界が国に寄付をしたと聞きました。私は東京で一人暮らし、誠に自由な高校時代でした。
大学入試、近所の国立大学を受けましたが見事に落ちました。生化学の勉強をしたいなと思っていましたが、当時の社会状況、そして高校時代に受けた学生運動の影響、私の同期生には大学へ行かず音楽業界へ行く人が多い、そんな時代でした。
父の赴任先へ帰省していた時、近所(浜島町)にあった合歓の郷で野外のジャズ・ライブがありました。夏の夜、徹夜のライブでした。その際、野外ホールの近くにあった施設で画像の案内書を手にしました。これが私の人生を変えました。
財団法人ヤマハ音楽振興会はヤマハの音楽教室など教育システムを管理・運営しています。その昭和46年度入学案内を手にした私は随分考えました。
大学へ進まずこのポピュラー音楽の専門学校へ入ろうと思いました。
一年浪人の後、翌昭和47年4月、入学試験に合格して入学しました。
全寮制の学校でした。指導項目を書いておきます。
・作編曲(和声、コードプログレッション、オーケストレーション)
・聴音、ソルフェージュ
・専門楽器・その他の楽器
・アンサンブル(バンド、コンボ、クラシック小アンサンブル)
・指揮
・音楽指導法(幼児のための音楽指導法、青少年のための音楽指導法、教育真理、実習)
・英語
・体育
・教養講座
・特別講座(現在音楽界の第一線で活躍している人にふれエッセンスを吸収する講座)
上記は前年度の案内であり、入学してみるとその年には(二年間で履修)音楽指導法とか指揮の講義はありませんでした。専門楽器はポピュラー・ピアノ、講師が管野光亮先生でした。管野先生(故人)に関連する記事が下記にあります。
http://heartsmusicblog.blogspot.jp/2010/11/blog-post_26.html
コードプログレッション(テキスト:渡辺貞夫著「ジャズ・スタディ」)とオーケストレーション(テキスト:ヘンリー・マンシーニ著「サウンズ・アンド・スコアズ」)を林雅彦先生に学びました。こうしてプロの音楽家へのスタートについたのでした。
自由な雰囲気、そしてリゾート地にあることで色々なイベントもありました。
このバンドはホテルのプール・サイドで演奏しています。
大学入試、近所の国立大学を受けましたが見事に落ちました。生化学の勉強をしたいなと思っていましたが、当時の社会状況、そして高校時代に受けた学生運動の影響、私の同期生には大学へ行かず音楽業界へ行く人が多い、そんな時代でした。
父の赴任先へ帰省していた時、近所(浜島町)にあった合歓の郷で野外のジャズ・ライブがありました。夏の夜、徹夜のライブでした。その際、野外ホールの近くにあった施設で画像の案内書を手にしました。これが私の人生を変えました。
財団法人ヤマハ音楽振興会はヤマハの音楽教室など教育システムを管理・運営しています。その昭和46年度入学案内を手にした私は随分考えました。
大学へ進まずこのポピュラー音楽の専門学校へ入ろうと思いました。
一年浪人の後、翌昭和47年4月、入学試験に合格して入学しました。
全寮制の学校でした。指導項目を書いておきます。
・作編曲(和声、コードプログレッション、オーケストレーション)
・聴音、ソルフェージュ
・専門楽器・その他の楽器
・アンサンブル(バンド、コンボ、クラシック小アンサンブル)
・指揮
・音楽指導法(幼児のための音楽指導法、青少年のための音楽指導法、教育真理、実習)
・英語
・体育
・教養講座
・特別講座(現在音楽界の第一線で活躍している人にふれエッセンスを吸収する講座)
上記は前年度の案内であり、入学してみるとその年には(二年間で履修)音楽指導法とか指揮の講義はありませんでした。専門楽器はポピュラー・ピアノ、講師が管野光亮先生でした。管野先生(故人)に関連する記事が下記にあります。
http://heartsmusicblog.blogspot.jp/2010/11/blog-post_26.html
自由な雰囲気、そしてリゾート地にあることで色々なイベントもありました。
このバンドはホテルのプール・サイドで演奏しています。
2012年5月18日金曜日
My musical history(7)
前回、中学の文化祭における弦楽部出演の記事を訂正しましたが、それは同じ日に別バンドでオン・ステージがあり、そちらの意識が強かったからだと思います。
バンジョーを含むギターのバンド、生徒会長のN君がボーカル、私は曲を作ったりギターやバンジョーを演奏した様にメモが残っています。写真はボケてますが、確かにギターやバンジョーを演奏していますね。
中学校3年生の11月父が東京(水産庁の本庁)へ転勤となりました。三ヶ月後は高校受験、正直心配でしたが第41群(悪しき学校群入試二年目)に合格、東京都立小石川高等学校に入学しました。母校は一昨年閉校となり制度上は東京都立小石川中等教育学校に改編されています。
高校時代もバンド活動をしました。クラスメイトのO君がリーダー、バンド名は「ボサノバ研究会(通称ボサ研)」。
編成はセルジオ・メンデスとブラジル66に似せたもの、もちろん彼らの曲も演奏しました。
O君がギター、ベース1、ドラムス1、ボーカルは女性2名、タンバリン1、私はピアノをやりたかった(特に「マシュ・ケ・ナダ」)のですが練習場所が無いので仕方なく追加のギター1。
ピアノがある学校の音楽室は軽音研(ジャズのフルバンド)と音研(合唱主体のクラシック系部活)に占領されていたのです。残念ながら手元にこのバンドの写真はありません。文化祭(芸能際)では文京公会堂のステージに立ち、別の日に二日間学校の校舎を使う文化祭(創作展)でも教室で演奏しました。
バンジョーを含むギターのバンド、生徒会長のN君がボーカル、私は曲を作ったりギターやバンジョーを演奏した様にメモが残っています。写真はボケてますが、確かにギターやバンジョーを演奏していますね。
中学校3年生の11月父が東京(水産庁の本庁)へ転勤となりました。三ヶ月後は高校受験、正直心配でしたが第41群(悪しき学校群入試二年目)に合格、東京都立小石川高等学校に入学しました。母校は一昨年閉校となり制度上は東京都立小石川中等教育学校に改編されています。
高校時代もバンド活動をしました。クラスメイトのO君がリーダー、バンド名は「ボサノバ研究会(通称ボサ研)」。
編成はセルジオ・メンデスとブラジル66に似せたもの、もちろん彼らの曲も演奏しました。
O君がギター、ベース1、ドラムス1、ボーカルは女性2名、タンバリン1、私はピアノをやりたかった(特に「マシュ・ケ・ナダ」)のですが練習場所が無いので仕方なく追加のギター1。
ピアノがある学校の音楽室は軽音研(ジャズのフルバンド)と音研(合唱主体のクラシック系部活)に占領されていたのです。残念ながら手元にこのバンドの写真はありません。文化祭(芸能際)では文京公会堂のステージに立ち、別の日に二日間学校の校舎を使う文化祭(創作展)でも教室で演奏しました。
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