2026年10月18日日曜日

宇品町1,334番地

 

夕飯の焼きそばに「青のり」をかけようと思い、
そのパッケージをみると三島食品の製品。
広島の食品メーカで、
「ゆかり」とか各種のふりかけを作っています。
住所は吉島町(よしじままち)。
住所を入力して検索した地図を見ると、
生まれ育った家の隣にあった浜本工芸が
出島町(でじまちょう)に移転している。

原爆投下の頃に出島町はありませんが、
1960年頃から宇品町の先、
太田川の河口(広島湾)へ向け
埋め立てられた新しい町(土地)です。

国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」から
1960年頃の宇品町の航空写真(上)を入手。



これをトレースして解説用画像(左)を作り、
航空写真の説明をします。

生まれ育った家は 水産庁内海区水産研究所 の官舎。
住所は広島市宇品町1,334番地でした。
解説用画像で黒く塗った場所、1,334番地と書きました。
父はここから水産研究所へ通いました。
研究所の所長宅へ私はピアノを習いに通いました。
バス通りと書いた道路を広電バスと広島バスが走り、
私は広電バスで京橋川を渡り、千田小学校へ通いました。

太田川は広島市内で六本に分流します。
東から二番目が京橋川、三番目が元安川。
元安川上流にある相生橋は原爆投下の目標地点。

解説用画像斜線のエリアは貯木場、
航空写真では近くの水面にも材木が浮いています。
家の前の道の反対側は貯木場で、
材木市場もありました。

その上流に「憩いの家(1957~1992年
広島市宇品にあった原爆被爆者のための
精神的安らぎと保養を目的とした施設)」がありました。

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