検索キーワード「弦楽部」に一致する投稿を関連性の高い順に表示しています。 日付順 すべての投稿を表示
検索キーワード「弦楽部」に一致する投稿を関連性の高い順に表示しています。 日付順 すべての投稿を表示

2012年5月10日木曜日

My musical history(6)

小学校時代、音楽鑑賞団体労音の子供会員だった。
時々クラシックのコンサートがあると父が連れて行った。
会場は広島市公会堂、平和公園の南側にあった。

ただ、コンサートは平日のアフター・ファイブ、午後6時半とか7時から9時という時間帯。
朝早く起きてバス通学をして帰宅後、またバスに乗って市の中心部へ行って鑑賞となると子供にはハードなこと。
せっかくのプロの演奏を記憶しているかというと・・・。眠かった記憶しかない。もったいないというか残念なことです。

中学校時代、夏休みの宿題としてNHKラジオ朝8時~9時の番組「名演奏家の時間」を聞くというのがあった。
どこか一日聞けばよかったはずだが、父のアドバイスもあり夏休み期間中、毎日聞いた。
新聞のラジオ番組欄を見て、演奏家名、演奏曲名や作曲者名などを毎日記録しながら聞いた記憶がある。
何か他に覚えているかというとこれも・・・。
ただ、番組のタイトル曲は毎日聞いたのでよく覚えている。
平均率曲集(バッハ作曲)の中のBmの前奏曲をオーケストラ・アレンジしたものだった。

弦楽部について記憶違いがあったので訂正します。
5月5日の投稿「一緒に集まって演奏することはありませんでした」と書きましたが、違いました。
写真の様に吹奏楽部の応援を得て演奏しています。文化祭でしょう。

私も舞台奥に写っています。編成にはギターが無いから演奏しないで袖に居た?ピアノなりエレクトーンを弾いた?この辺りの記憶が全く無いのは困ったことで、誠に申し訳のないことです。

アルバムへの書き込みによると、フルート2、クラリネット2、サキソフォン2、トランペット2、ホルン(本数不明)、トロンボーン(本数不明)、ここまでのメンバーは吹奏楽部、弦楽部からバイオリン4、コントラバス1、鍵盤楽器1(私?不明)という編成だった様だ。
推測するに弦楽部顧問の三村先生が編曲をされ(指揮もされている)、練習し、演奏したのだろう。

もう一枚の写真は、吹奏楽部顧問だった久保先生から「男もピアノを弾くんだぞ、というのを生徒の前で演奏して見せてくれ」と頼まれたもの。
参ったなとは思ったものの断れず・・・、シューベルトの即興曲を演奏しています。
当時、男子がピアノを習っているとか演奏するというのは珍しかった。現在と違い、「男子のくせにピアノなぞ弾いて」という雰囲気もあった。

写真の下の書き込みには「いよう親分!へただねぇ!」とあるから、満足のゆく演奏ではなかったのだろう。汗顔の思いだけ記憶している。よくまあ演奏したものだ。

譜めくりをしてくれたのは弦楽部の同期生。この方からメールを頂きました。
彼女は学校の先生となり、宇品小学校が最初の赴任校、次が千田小学校だったとか。「小さな小さな縁のようなものを感じました。(中略)これからもお互い元気で楽しい毎日を送っていきましょうね」とも書いてくれました。

私も全く同感。お互い元気にやってゆきましょう。

2012年5月5日土曜日

My musical history(4)

広島市立宇品中学校は各学年10クラス、規模の大きな学校でした。
音楽の先生も2人おられました。
1人が吹奏楽部を指導、そして個人的にピアノを習った先生。
もうお1人が顧問をしておられた弦楽部に入りました。
お2人とも若い男性の先生でした。
弦楽部は楽器演奏を趣味で楽しむ活動でした。
バイオリンを演奏する女生徒とギターを演奏する男生徒。
一緒に集まって演奏することはありませんでした。
卒業生も含めて数名はコントラバスも演奏し、コントラバスは吹奏楽部の演奏会に呼ばれて一緒に演奏しました。
音楽室も2部屋あり、大きい部屋にグランドピアノがあり吹奏楽部、小さい部屋にアップライトピアノがあり弦楽部の部屋でした。


ギターを始めたきっかけは、広島に来たジョーン・バエズとPPM(ピーター・ポール・アンド・マリー)の演奏を聴いたからです。
画像はPPMのコンサート会場で購入した楽譜。当日の演奏曲のメモが目次の所に残っています。
ギターのコードだけなら独学で何とかなりそうですが、弦楽部ではクラシック・ギターを練習しました。
指導者は特に居ませんでしたが教則本を購入して練習しました。
ギターもコード弾きとクラシックと両方のアプローチをしたのが後に役立ちました。
ピアノもクラシックとコード弾きと両方のアプローチをしてゆきますがこの話は次回。
その時に購入したギターはまだ持っています。

2019年5月28日火曜日

楽器との出会い(トランペットとギター)

トランペットは中学の吹奏楽部に入って選んだ楽器でした。
しかし歯並びが悪く、向いていないと自覚して諦めました。
画像は、広島市宇品町(戦前は軍港として有名な港町)の路上、1965年7月24日、「みなとまつり」のパレードです。

中央、めがねをかけているのが中学一年生の私。

手前の佐伯先輩(二年生)は素晴らしいトランペッターでした。
吹奏楽部をやめ、弦楽部に入り、ギターを買ってもらい、練習しました。

このギターはまだ手元にあり、演奏可能です。

2012年5月3日木曜日

My musical history(3)

ピアノを習っていることが学校にわかると利用されます。
小学五~六年の担任は男性の音楽の先生でした。
鼓笛隊の大太鼓が私の役目となりました。
ビートの基本となる大太鼓です。
今思えば良い体験だったかも知れません。
小学校は広島市立千田小学校でした。広島大学の南隣、宇品からはバスで通学しました。
朝の通勤ラッシュのバスにもまれて貴重な鍛錬をしました。
中学校ではトランペットにトライしました。
しかし前歯の歯並びが悪いためにこの楽器には向いていません。
ブラスバンド部はやめて弦楽部に入りなおしました。
ギターを練習しました。
中学校は広島市立宇品中学校でした。

宇品中ブラスバンド部を指導した男性の音楽の先生、軍事教練的というか当時の表現で言えばスパルタ式指導でした。
結果、ブラスバンドのコンクールでは中国地方大会優勝という成果を上げましたが、この先生の指導法には疑問を感じました。
音楽は楽しいもの、競争とか競技とは違うのではないかと思ったのです。

その一方、この先生にまたピアノを習うことになりました。
将来的に作曲を学んだらどうかとアドバイスを受けましたが、当時は作曲など全く考えていませんでした。
今思うと、不思議な気がします。
その後に作曲を学び、その道に進む事になったからです。

2012年5月18日金曜日

My musical history(7)

前回、中学の文化祭における弦楽部出演の記事を訂正しましたが、それは同じ日に別バンドでオン・ステージがあり、そちらの意識が強かったからだと思います。
バンジョーを含むギターのバンド、生徒会長のN君がボーカル、私は曲を作ったりギターやバンジョーを演奏した様にメモが残っています。写真はボケてますが、確かにギターやバンジョーを演奏していますね。







中学校3年生の11月父が東京(水産庁の本庁)へ転勤となりました。三ヶ月後は高校受験、正直心配でしたが第41群(悪しき学校群入試二年目)に合格、東京都立小石川高等学校に入学しました。母校は一昨年閉校となり制度上は東京都立小石川中等教育学校に改編されています。


高校時代もバンド活動をしました。クラスメイトのO君がリーダー、バンド名は「ボサノバ研究会(通称ボサ研)」。
編成はセルジオ・メンデスとブラジル66に似せたもの、もちろん彼らの曲も演奏しました。
O君がギター、ベース1、ドラムス1、ボーカルは女性2名、タンバリン1、私はピアノをやりたかった(特に「マシュ・ケ・ナダ」)のですが練習場所が無いので仕方なく追加のギター1。
ピアノがある学校の音楽室は軽音研(ジャズのフルバンド)と音研(合唱主体のクラシック系部活)に占領されていたのです。残念ながら手元にこのバンドの写真はありません。文化祭(芸能際)では文京公会堂のステージに立ち、別の日に二日間学校の校舎を使う文化祭(創作展)でも教室で演奏しました。

2013年6月26日水曜日

魂の休日

インターネット楽譜&音、@エリーゼからリリース予定のコンテンツが完成、昨日のお昼頃ファイルを送りました。リリース予定が決まりましたらまた投稿したりメールの配信をします。

夜は大体9時に寝てしまい翌朝は日の出頃に自然に目覚めます。肉体的な休養の必要は感じませんが仕事に一区切りがつき、心のというか「魂の休日」とすることにしました。

新宿に移転したMUSICVOXにマイクとマイクスタンド、ベースの弦とシールド、ギターの弦を買いに行きました。発表会では生徒さんの内お二人がピアノ弾き歌い。そろそろレッスンの際にはマイクとマイクスタンドが必要です。そして以前の様に、必要があればリズム音を出しつつ私がベースを演奏。ベースの弦を替えたのはいつだったか?

ギターは中学時代に買ってもらったもので、所属クラブ(弦楽部)でクラシックギターの指導を受けつつコードは独学で覚え文化祭のステージにも立ちました。正に青春の一齣。これも弦を替えたのはいつだったか?

その後、十条仲原、富士見銀座の入口にある高柳味噌店へ行きました。
前回は信州こし味噌(甘口)でしたが暑くなってきたこともあり今回は越後こし味噌(中辛)。
環七へ出て国際興業バスに乗って一旦帰宅の後、本日のメインイベントへ出かけました。



第128回「春雨の会(上野広小路亭)」

母校小石川高校出身の落語家、桂春雨(かつらはるさめ)さんと立川志遊(たてかわしゆう)さんの噺を楽しみました。

私は以前、このお二人の落語の会、つまり席を設けたことがあります。
その頃に比べるとすばらしく円熟味を増しています。


2003年11月8日 紫友さろん「落語の会(2)」

次回9月12日は会場が変るそうです。神田古書センター内「らくごカフェ」。少し近くなります。
次回も魂の休日となる様、仕事をしっかりやろうと思います。

本当に素敵な魂の休日でした。

2023年5月11日木曜日

作業を開始

 映画「砂の器」の音楽、映画公開後のコンサートおよびレコード録音のためのスコアを出版に向けて作業を始めました。

規模が大きいので時間はかかるでしょうが、CDとしてもリリースされた音楽です。

Part-1とPart-2に分かれていますが、Part-1の音は ココ にありました。

再解析をしつつ(楽譜に楽譜の自動演奏音を添付予定のため)、手元のスコアのコピー(私が書いたものですが原本は遺族にお渡ししています)をアプリに入力してゆきます。

私の音楽人生の一つのベースを育んだ若き日々の作業、懐かしくもあり、これを現在の私が最善のスコアに仕上げ直す作業。

とても幸せです。

年内には出版できると思います。

なお、このスコアの存在を調べられずにフィルムコンサートが企画され、実施されました。実施が決まってから、このスコアのことを伝えましたが、無視されました。

このフィルムコンサートは映画のサウンドトラックを採譜したのかも知れませんが、作曲者としては自ら大阪で初演した(初演のリハーサルでは私がピアノを演奏・師匠は忙しかったため)このスコアこそが、映画「砂の器」の音楽のエッセンスであることを認めてくれるだろうと思います。

以上の事情は今後出版の際に説明することにします。

私がスコアリングしたスコア(私は映画音楽の録音に全部関わり一部編曲も)こそが、この映画の音楽の真髄。師匠もわかってくれると思います。

このスコアを出版すれば、演奏できるオーケストラも出てくるでしょう。

頑張ります!

弦楽四重奏の楽譜が少しずつ売れ始めました。

フルオーケストラの楽譜もこれから多くの人の音楽の楽しみのために役立つと信じます。