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2013年1月17日木曜日

母校(中学校)恩師からの電話

一昨日の朝、母校(中学校)の恩師へ手紙を出しました。
母校と書いたのは、卒業校ではなく入学から中学3年の11月まで通った広島市立宇品中学校です。
頂いた年賀状に「お元気ですか?」と添え書きがありました。
母校卒業40周年同窓会には行けなかったこともあり、私の現状などをお伝えしました。

先程(本日19時24分)電話がありました。
その声は、中学在学中と何も変わりがありませんでした。
お若い。お元気そうです。「喜寿じゃけんのう」ともおっしゃいました。
母校(高校)T先輩と同じ歳かも知れません。
これからもお元気にお過ごし下さればと思います。

画像は今朝のウォーキング途中。本鵠沼駅を出て片瀬江ノ島へ向かう小田急線電車です。
今朝は寒かった。明日はもっと寒いそうですが元気に歩きたいと思います。

2012年5月3日木曜日

My musical history(3)

ピアノを習っていることが学校にわかると利用されます。
小学五~六年の担任は男性の音楽の先生でした。
鼓笛隊の大太鼓が私の役目となりました。
ビートの基本となる大太鼓です。
今思えば良い体験だったかも知れません。
小学校は広島市立千田小学校でした。広島大学の南隣、宇品からはバスで通学しました。
朝の通勤ラッシュのバスにもまれて貴重な鍛錬をしました。
中学校ではトランペットにトライしました。
しかし前歯の歯並びが悪いためにこの楽器には向いていません。
ブラスバンド部はやめて弦楽部に入りなおしました。
ギターを練習しました。
中学校は広島市立宇品中学校でした。

宇品中ブラスバンド部を指導した男性の音楽の先生、軍事教練的というか当時の表現で言えばスパルタ式指導でした。
結果、ブラスバンドのコンクールでは中国地方大会優勝という成果を上げましたが、この先生の指導法には疑問を感じました。
音楽は楽しいもの、競争とか競技とは違うのではないかと思ったのです。

その一方、この先生にまたピアノを習うことになりました。
将来的に作曲を学んだらどうかとアドバイスを受けましたが、当時は作曲など全く考えていませんでした。
今思うと、不思議な気がします。
その後に作曲を学び、その道に進む事になったからです。