作曲家ベートーベン、聴力の衰えを自覚して遺書を書いた後、自殺せずまた創作活動を再開したと言われています。ナレーションの一部「~再びわきあがる強い芸術への想い~」という件がありました。
意味あいとして間違いではありませんが、作曲家であれば、「想い」というよりも「わきあがってくるもの」は「音楽そのもの」のはずなのです。
昨日「音楽は頭の中で出来ています」と書きました。作曲に限らず演奏する(歌も含む)場合、事前に頭の中に「音」というか「音楽」がイメージされているはずです。
楽譜を読み取る能力、それは知らない曲でも記譜された楽譜からサウンド・イメージがわかることです。
五線譜であればメロディ、そして書かれた全ての音による音楽全体像が事前にイメージされていなければなりません。
コード記号も同様で、事前にその響きがイメージされていなければなりません。
多くの方への音楽指導を通じて、必ずしもこの様なイメージを事前に浮かべることができていない人も多いことに気付きました。また、それが難しいとかできないからこそ、受講されるのだろうと思います。
音楽家は寝ても覚めても音楽のことを考えていたり頭にイメージしていると思います。
私は(特に創作に打ち込む時期は)そうなっています。
もちろん、そんな状態が続くと疲れます(持病の憩室炎にも悪影響です)。気分転換に音楽を聴くとまた条件反射的に頭に楽譜が浮かんだりするので、できれば音楽以外、スポーツ中継とか落語で癒されます。本当に疲れたら「静けさ」を身体というか脳が欲します。
起き抜けに夢の中で浮かんだ「Only You」の口笛譜のアイディア、目下制作進行中ですが、作曲なり編曲で色々考えている時期は寝ている最中も作業らしきものが続いたりします。
もちろん多くの場合は起きている状態ですが、アイディア(フレーズの断片のこともあればこれにハーモニー要素が加わることもある)は文字通り「ふと思いつく」ことが多い。
手元に五線紙があれば良いですが無い時は五線を自分で書いてから書き込むことがあります。
左にある画像はそれぞれそんな音楽の当初スケッチ。音名だけ、コード進行だけ、何かアイディアのメモという場合もあります。
二枚目のアルバムのタイトル・チューン「The Forest」は録音前夜、プロデューサのM.I.さん宅でスコアリングしました。楽器で確認しませんが文字通り「音楽がわきあがってきて」スコアとなります。
二枚目のアルバムのタイトル・チューン「The Forest」は録音前夜、プロデューサのM.I.さん宅でスコアリングしました。楽器で確認しませんが文字通り「音楽がわきあがってきて」スコアとなります。
故管野光亮先生の制作現場、松竹映画「砂の器」、これが大ヒットしてテレビドラマの音楽(業界用語は劇伴<げきばん>)、先生のサウンドは何と言っても大編成のオーケストラです。原案や当初アレンジは先生が書かれます(楽器など使わず書かれます)。大編成のスコアから翌日の録音のパート譜(指揮者用を含め全ての楽器の楽譜)をスコアから書き写す作業を写譜(しゃふ)と言いますが、これは私を含め弟子たちの作業です。毎回徹夜作業。赤坂のコロムビアの一番大きいスタジオで録音されますが、前夜は近くの旅館で徹夜作業。
先生は「明日ピアノを弾かなきゃならないから後はよろしく」とおっしゃって寝てしまいます。
その後の追加アレンジや場合によっては原案をもとにスコアリングもしなければなりません。更にこれを写譜。
この様な制作現場で何か楽器で音を確認するということは極めて少なかったと思います。
全てサウンドは頭の中に鳴っているから作業は進むのです。
最近ではフル・オーケストラを書ける(楽譜化しかつ録音まで可能な)アプリが進歩、これらを利用して作曲や編曲のレッスンに来る生徒さんがいます。
便利な世の中になりましたけれど、「このメロディは本当に歌ってみたのかな」と疑問に思うことや、恐らくレッスンの寸前まで作業していたのでしょう、アプリで一度再生して確認すればわかるはずのミスが残っていたりします。
便利さの代償として本来的な意味での音楽創作力が衰えている?そこは心配です。
移調楽器についてのノウハウも感覚的には育たない気がします。
これも今朝のラジオ。クレージーケンバンドの横山剣さん曰く「昭和の音楽は覚悟みたいなものがあったね。一発本番。最近の様に編集したり修正できないから。緊張するのは良くないけどいい意味での緊張感は大切だと思う…(趣旨の要約)」。
0 件のコメント:
コメントを投稿