2017年1月18日水曜日

耕洋丸乗船記

越境入学した広島市立千田小学校を卒業、広島大学付属中学の入試を受けて合否発表待ちの時期でした。
1965年3月6日の様です。
掲題の船が港に入ったというので、父の計らいで乗船しました。

父は水産庁の研究技官、内海区水産研究所資源部に勤めていました。
現在の耕洋丸は ココ にあります。
私が乗せて貰った耕洋丸は恐らく二代目 ココ にあります。
水産研究所の近くに住んでいました。

水産の研究者ばかりの社会で生まれ育ったこともあり、漠然と海に関する科学者になりたいなと思っていました。
付属中学入試には合格したのですが、合格者数は定員の倍、受験番号の関係で半分が不合格になる、そんな抽選で、不合格の番号範囲でした。
地元の宇品中学へ通う事にしましたが、とても大きな宇品の町の西端から左端、歩いて遠くへ行く通学は小学校以上に大変なことでした。
その投稿は ココ にあります。

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