2012年5月19日土曜日

My musical history(8)

東京都立小石川高等学校に在学中、父は真珠研究所に転勤となりました。三重県志摩郡阿児町賢島にあった水産研究所で、真珠業界が国に寄付をしたと聞きました。私は東京で一人暮らし、誠に自由な高校時代でした。
大学入試、近所の国立大学を受けましたが見事に落ちました。生化学の勉強をしたいなと思っていましたが、当時の社会状況、そして高校時代に受けた学生運動の影響、私の同期生には大学へ行かず音楽業界へ行く人が多い、そんな時代でした。
父の赴任先へ帰省していた時、近所(浜島町)にあった合歓の郷で野外のジャズ・ライブがありました。夏の夜、徹夜のライブでした。その際、野外ホールの近くにあった施設で画像の案内書を手にしました。これが私の人生を変えました。
財団法人ヤマハ音楽振興会はヤマハの音楽教室など教育システムを管理・運営しています。その昭和46年度入学案内を手にした私は随分考えました。
大学へ進まずこのポピュラー音楽の専門学校へ入ろうと思いました。
一年浪人の後、翌昭和47年4月、入学試験に合格して入学しました。
全寮制の学校でした。指導項目を書いておきます。

・作編曲(和声、コードプログレッション、オーケストレーション)
・聴音、ソルフェージュ
・専門楽器・その他の楽器
・アンサンブル(バンド、コンボ、クラシック小アンサンブル)
・指揮
・音楽指導法(幼児のための音楽指導法、青少年のための音楽指導法、教育真理、実習)
・英語
・体育
・教養講座
・特別講座(現在音楽界の第一線で活躍している人にふれエッセンスを吸収する講座)

上記は前年度の案内であり、入学してみるとその年には(二年間で履修)音楽指導法とか指揮の講義はありませんでした。専門楽器はポピュラー・ピアノ、講師が管野光亮先生でした。管野先生(故人)に関連する記事が下記にあります。

http://heartsmusicblog.blogspot.jp/2010/11/blog-post_26.html

コードプログレッション(テキスト:渡辺貞夫著「ジャズ・スタディ」)とオーケストレーション(テキスト:ヘンリー・マンシーニ著「サウンズ・アンド・スコアズ」)を林雅彦先生に学びました。こうしてプロの音楽家へのスタートについたのでした。
自由な雰囲気、そしてリゾート地にあることで色々なイベントもありました。
このバンドはホテルのプール・サイドで演奏しています。

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