2012年5月3日木曜日

My musical history(3)

ピアノを習っていることが学校にわかると利用されます。
小学五~六年の担任は男性の音楽の先生でした。
鼓笛隊の大太鼓が私の役目となりました。
ビートの基本となる大太鼓です。
今思えば良い体験だったかも知れません。
小学校は広島市立千田小学校でした。広島大学の南隣、宇品からはバスで通学しました。
朝の通勤ラッシュのバスにもまれて貴重な鍛錬をしました。
中学校ではトランペットにトライしました。
しかし前歯の歯並びが悪いためにこの楽器には向いていません。
ブラスバンド部はやめて弦楽部に入りなおしました。
ギターを練習しました。
中学校は広島市立宇品中学校でした。

宇品中ブラスバンド部を指導した男性の音楽の先生、軍事教練的というか当時の表現で言えばスパルタ式指導でした。
結果、ブラスバンドのコンクールでは中国地方大会優勝という成果を上げましたが、この先生の指導法には疑問を感じました。
音楽は楽しいもの、競争とか競技とは違うのではないかと思ったのです。

その一方、この先生にまたピアノを習うことになりました。
将来的に作曲を学んだらどうかとアドバイスを受けましたが、当時は作曲など全く考えていませんでした。
今思うと、不思議な気がします。
その後に作曲を学び、その道に進む事になったからです。

2 件のコメント:

  1. 思い出したことがあります。
    6歳の時からバイオリンのレッスンに通わされていました。「ここに泉あり」の主人公のモデルだった風岡裕さん、鈴木メッソッドの才能教育の教室やってたんです。経済的にも著しく無理をし、母親はプライドをかけてました。でも、小学5年の時、バスケットボールに夢中になり、母の強要をきっぱりと拒否、以後バイオリンに触ったことはないです。
    ヒゲクマのhistory、このため、小さな時に始めたことを長く続けている人には敬意を払う習慣がつきました。
    コメントがプレビュー経由でないと入らないことがやっとわかりました。すみません。

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  2. すみません。コメントは私が確認をしてから上げています。
    「ここに泉あり」の主人公のモデルだった方ですか。
    音楽に限らず、短期間に何か習得できるという(こともあるでしょうが)程、簡単なことでは無い様に思います。いろいろ。
    地道に気長に、そんなことが多いですね。
    これに懲りずにまたコメントをお寄せください。

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