2012年6月29日金曜日

仕事に追われてます…

投稿のペースが落ちたのは単純に忙しいからです。
次の仕事は制作環境の整備に時間がかかりました。
ようやく環境整備ができたので本格着手しました。

今朝は6時に出かけましたが天気が良いので日差しが強い。やはり5時に出ないと…。
昨年との比較では涼しいけれど今日は暑いので木陰の利用できるルートを選びました。

朝歩くと良く猫に出会いますが、撮影準備が間に合わずなかなか撮影できません。
今朝の猫はじっとこちらを向いていたのでパチリ。

木陰のルートの後半は隣町の林町の林へ。
鶯がとても上手に啼いていました。6,800歩。

2012年6月23日土曜日

楽しみ…(その2)

毎年恒例となった夏の終わりの「Summer Live 2012」、
教室の生徒さんによる発表会ライブです。
その概要がまとまりました。少し先の話ですがこれが楽しみ…。
オリジナルを作曲される方々は曲名や編成など判明次第、逐次更新して行きます。そしてこのファイルが当日会場でお配りするプログラムに進化します。もちろん会場配布分は実名になります。本番は8月26日(日)です。

昨日、依頼された教則本の原稿および添付CDの録音など全てを制作会社へ送りました。久々に締切のある仕事でしたが締切を守って完成できました。本になって出来上がるのが、これも楽しみ。リリースされたらもちろん投稿します。

入梅後は天気も悪く、締切のある仕事で忙しいというか気分的にも追われた感じの毎日、ウォーキングのペースは落ちました。6月に入ってから昨日までの一日平均歩数は8,945歩。これは記録というよりは健康維持目的ですからのんびり歩いて行きます。
今朝は曇天で涼しく、歩くには絶好のコンディション。仕事も一区切りついて実に気分爽快に歩きました。画像は今朝の空。面白い感じでした。

土曜日は最後にパン屋さんに寄ります。
5月4日の投稿でご紹介したロコパンというお店。

http://heartsmusicblog.blogspot.jp/2012/05/blog-post.html


お店のご主人から「お忙しそうですね。枝豆のブログ見ましたよ。料理をご自分でされるのですね…」と声をかけられ、しばしお話をしました。
いつも美味しいパン、ありがとう。

ロコパンから焼きたてのパンを買って帰る途中、野菜スタンドで枝豆、ピーマン、トマトを買いました。ちょうど野菜を入れているところでしたので、生産者からの直接購入となりました。
いつも美味しい野菜、ありがとう。

今朝は野菜スープとトマトやキュウリなど美味しい具を満載のパン!
さあ今日も張り切って仕事!生徒さんの発表曲などのアレンジと録音です。



2012年6月21日木曜日

楽しみ…

毎日の楽しみ、それは仕事を無事に終えての夕餉です。
最近は枝豆が美味しい。今朝も近所の無人野菜販売ボックス(毎朝新鮮な野菜を入れて売っている)から枝豆を買ってきました。小林カツ代方式、密閉できる鍋で水1カップ5分!あっという間に美味しく調理できます。画像はその後余熱で加熱した後に良く水を切りこれからザルに上げ荒熱を取ろうと言う段階。
手前にあるのは塩麹でもんだカブ。今日はキュウリは入れずにカブだけ。食べる少し前にシソを刻んでトッピング予定。
後で冷蔵庫に入れて夕方まで寝かせます。今夜が楽しみ。

その美味しい野菜を生産している現場、畑を見てきました。
ナスが出来ています。走りのナスは先週、一度調理しました。
ヘタも一緒に煮ると退色しないのは面白い。良いことを教わりました。
お散歩猫のキキとヒゲおじさんの日常、実用的な料理アイディア満載で感謝。
ナスのことは下記にあります。今度は電子レンジでやってみます。

http://higekuma.blog.ocn.ne.jp/blog/2012/06/post_5b26.html

トウモロコシも楽しみ。ヒゲクマ方式の美味しい茹で方、早く試したいものです。
トウモロコシのことは下記にあります。

http://higekuma.blog.ocn.ne.jp/blog/2012/06/post_fed7.html


2012年6月20日水曜日

ここまで忙しいと…

ブログも投稿が滞り、朝のウォーキングもなかなか(これは梅雨とか台風も大きく影響していますが)。
忙しいとは言え、マイ・ペースに忙しかったここ数年と違い、制作の依頼が来て締切があると言うのは、うれしい反面大変。
そうですねここ十年来の中で珍しく十年前のペースになっています。
教則本は文字原稿を締切日に送り、添付CDの録音(今週末)も順調に進んでいますが、昨日、まるで天界から見ているかの様に次の出版物の発注を受けました。企画については守秘義務を感じるので内容は書けませんがありがたいことです。
本日は久々に朝歩きまして録音に邁進中です。

2012年6月9日土曜日

楽しいライブでした

「三味線ライブ~江戸三味線が来た道~(主催:NPO法人入間市文化創造ネットワーク入間市文化創造アトリエ・アミーゴ)」
主演者は山尾麻耶(やまおまや)さんです。

三味線という楽器、この楽器を使う音楽、その歴史的な背景のお話もあり、内容も実にバラエティに富んでいて、勉強にもなり、音楽として感動的でもあり、また素直に楽しめるライブでした。
執筆作業の最中に重なってしまったのですが、良い息抜きにもなりました。
また明日から頑張ります。
帰宅すると同窓会の先輩から本が届いていました。タイトルがさっきの三味線ライブとも関連しているので偶然ですが何か因縁を感じてしまいました。
落語です。出囃子との関連です。
楽しい音楽。いいですね。
私もそんな音楽の楽しさ、楽しみ方と一生連れ添ってゆきたいなと思ったのでした。

2012年6月7日木曜日

My musical history(14)

アシュラダムに在籍した頃のお話です。
上條恒彦さんのステージの仕事が多かったバンドです。
バンドで請け負った仕事に中村雅俊さんのデビュー・ツアーがありました。「ふれあい」が大ヒットしたからで、彼の故郷の女川へも行きました。ステージは女川ではなくて石巻だったと記憶していますが。

上條さんは「出発の歌(だびだちのうた)」そして「だれかが風の中で(フジテレビの時代劇「木枯らし紋次郎」主題歌)」のヒットでステージの仕事がたくさんありました。全国各地へ行きました。
このように旅へ行く仕事を業界用語ではビータと言いますが、九州の労音では色々なところへ行きました。
博多や熊本の様に大きな都市だけではなく大牟田、山鹿、玉名、菊池、天草、八代、出水…。先日の写真はその出水です。

プロの音楽家と言ってもビータとスタジオは世界が違います。スタジオの人はあまり地方へ行きません。
スタジオの仕事は急に入ってきて内容もわからずに何日何時にどこそこの録音スタジオへ行く感じ、だから地方へ行っていては仕事になりません。行っても直ぐに帰れる東京近辺とか主要都市程度です。
ビータの仕事は東京のステージもありますが、主に東京以外へ出かけてしばらく帰ってきません。
最初の内、全国あちこちへ行けるのが楽しくて航空会社の機内でもらえる地図に行った場所と日付を記録していました。

上條さんは、ご自分のアルバムにアシュラダムを使ってくれました。ステージのライブだから当然とも思えますが、ライブの録音でも当時はスタジオの人が呼ばれることが多く、ビータのバンドは一般的に冷遇されていました。
そのライブ・アルバム、上條さんのサインがあります。

上條さんは歌手としてデビューしましたが、どちらかというと演劇をやりたかった様です。
ステージでも歌を絡めた寸劇のようなものがありました。だから劇伴(げきばん:演劇や映画の伴奏音楽)も経験しました。
倍賞千恵子さんがご一緒されたシリーズは思い出深いです。例えば芝居の中で水道の蛇口をひねると水が少し落ちる、などのセリフに対してピアノでその情景を表現するとか…。東京のステージには、当然の様に渥美清さんが応援に来られました。
このステージで九州にも行ったと記憶しています。アシュラダムが毎日粗末な衣装なので、倍賞千恵子さんが1人ずつ綺麗なTシャツを買ってくれたことがありました。何とか着られましたが、女物ではないかと思いました。当時はみな細かったから女物でも着られたのですが…。ややつんつるてんでした。
ステージにおける演奏は本当に勉強になり、後の私の音楽活動の本格的なスタートということができます。
アシュラダムのメンバーは今頃どうしているかなって思います。何しろ毎日一緒。そんなビータでした。

2012年6月5日火曜日

My musical history(13)

昨日予告の内容「教則本執筆奮闘記」です。
昨日は30年前から始まったと書きましたが、最初のピュラー・ピアノ教則本は1978年6月1日発行ですから34年前のことです。
書名は「コード・ネームだけで弾ける/ロック&フォーク・ピアノ奏法」と言います。
内容はポピュラー・ピアノなのでこの書名にはがっかりしましたが、出版社の営業責任者いわく「ロックとかフォークをタイトルにつけた本は売れるんだよ」とのこと。そこはビジネスですから仕方ないなと何とか自分を納得させました。
内容には自信がありましたが、初版で終わってしまいました。でも教則本を執筆できたのはうれしかった。思い出深い本です。
同じ出版社から内容を一新して1983年9月1日に「ザ・ポピュラー・ピアノVol.1」を出しました。音もソノシートの形で付き、いよいよ内容とタイトルが一致したのですが、これも初版で終わってしまいました。
その後、他の出版社からポピュラー・ピアノの教則本を出しますが、改訂して出し続けたものの、時代に先駆け過ぎたのかセールスは今一つ伸びませんでした。
さて今書いている本、売れてくれたらなあと思います。
時代が追いついてきたのかも知れない。
もちろん良い内容のものを書いて出そうと思います。

当時、フュージョン(当時はクロス・オーバーと言った)系の採譜楽譜が売れました。そこでこれらの採譜楽譜(ほとんど私が採譜している)を基礎資料にしてフュージョン系音楽のキーボードのプレイ、コード・ワークをまとめた本を作って欲しいと依頼されました。そして出たのが1979年8月1日発行「クロスオーバー・テクニカル・シリーズ/キーボード・コード・ワーク」です。この本はその後少しずつ改訂し何度も出版しました。この内容は後に音楽理論書を執筆する上で重要な基礎となりました。







1980年6月1日発行「ロック完全マスター・シリーズ/ザ・ロック・キーボード」です。
これは正にロック・キーボードという内容の本。音もソノシートやカセット・テープの形で付いています。
後に改訂してVol.1とし友人との共著でVol.2も出しましたが、これらは何度も重版され良く売れました。
韓国でも(翻訳され)出版されました(1999年11月18日発行)。

この他にも色々な教則本を出していますが、力を入れた程には売れませんでした。
売れるのはアレンジ楽譜や採譜楽譜、やっぱりまだ楽譜なんです。
自分でアレンジしてピアノを楽しむのがポピュラー音楽の世界ですが、これはこれから先のテーマだと思います。ということはまだまだ将来的には明るいのかな?楽譜と違って、いきなりインターネット出版にはならない?かも知れません。
教則本の未来は明るいのでしょうか。現在のところ、私にもまだわかりません。さあ、今日も執筆に入ります。ではまた。

2012年6月4日月曜日

My musical history(12)


バンドにおけるピアニスト、それは当時一斉に世に出たフォーク系のアーチストのツアー・サポートから始まりました。
今でこそアーチストのツアー・サポートなんて言いますが当時はバック・バンドと言いました。
そして旅行く先々での呼ばれ方は従来通りバンド・マン、まだ世間的扱いは「士農工商犬猫バンド」という風でした。
身分的に人間以下、更に犬猫以下って意味です。やや自嘲気味にそう感じたし、実際そんな風に扱われる場面も時々ありました。
当時一斉に世に出たフォーク系アーチストが多数いて、仕事はいくらでもありました。バンドのメンバーは常時不足気味でメンバーが固定するのにしばらく時間がかかりました。ステージの数は年間百以上はありましたから徐々にメンバーを固定しないとマネジメントが困難になり、メンバーは固定してゆきました。

私はアシュラダムという名前のバンドに所属しましたが、当初はウエンズデー・モーニングというバンドのピアノやキーボードの仕事も時々入ってきました。現在も使われている業界用語だと思いますが「トラ」の仕事も多かったのです。
トラとはエキストラの略、確か映画業界の用語を音楽業界が転用したのだと思います。正規メンバーの代わりにその仕事を臨時に1本とか数本請けることで、正規メンバーは何か用事で現場に行けないとか、用事と称してもっと良い仕事(これをオイシイ仕事と言う)へ行く時にトラを頼みます。
アシュラダムは上條恒彦さん、ウエンズデー・モーニングはチェリッシュのバック・バンドでした。
アシュラダムのリーダー(当時はバンマスと言ったはず)は国立音楽大学のトランペットの人、管楽器が3本(トランペット、トロンボーン、アルト・サックス)、これに4リズム(ピアノ、ギター、ベース、ドラム)の7人編成でした。
ウエンズデー・モーニングはトラで行った関係で詳しくわかりませんが、最初はベースの人、次にドラムの人がバンマスとなり、管楽器はいなくてピアノとキーボードとギターとベースとドラムの5人編成だった(と記憶しています)。

アシュラダムは国立音楽大学の学生が主体でしたがピアノとベースとアルト・サックス(上條恒彦さんの旧友)は外部でした。当時も今も?音楽大学ピアノ科の学生がバンド・マンをやるとは思えないし、だいたいコードでピアノが弾ける学生は…いなかったでしょう。
私は初見力とコードによる即興的アレンジ&演奏ができたので採用されたのでした。

当時の写真はこれ1枚しか見つかりませんでした。
裏には1974年9月24日、出水市民会館近くと書いてあります。21歳の私の右はベースのK.S.さん左はトロンボーンのM.W.さんです。

これらバンドのピアノ・パート譜はフルバンドのそれに近いものでした。売れたアーチスト、当初は大手のレコード会社なりプロダクションの傘下に入ったのでプロのアレンジャーが書いた楽譜が来ていたのです。
その後色々なアーチストのツアー・サポートを行うことになりますが、徐々にコードだけの楽譜(便箋にコードだけ書いてある様なもの)とか、演奏すべき曲が録音されたカセット・テープを受け取りコードなど必要な要素は自分で採譜(耳コピ)する様なことが増えて行きました。とにかくコードでピアノが弾ければ仕事になったのです。ソロもバンドも。

目下、コード弾きピアノの初歩入門教則本の執筆依頼を受けて書いています。
左の画像は既に出ている本。これに私が書いた本が加わるのです。
コードで弾ける人、30年前は少なかったけれど現在では随分と増えているでしょうし、この様な出版企画が成立する時代になったのだなあと、感慨深いものがあります。


次回は私の教則本執筆奮闘記でも書きましょう。こちらも30年前から始まった仕事です。



2012年6月1日金曜日

歩数計の記録

昨年5月下旬、新しい歩数計で記録し始めました。
ちょうど1年経ちましたので記録をまとめました。
以前の腕時計タイプより正確だと思います。
昨年6月~12月の1日平均歩数は9,591歩、
今年1月~5月は9,996歩、
先月は11,299歩。

これからも元気に歩いて行きたいと思います。