2012年5月18日金曜日

My musical history(7)

前回、中学の文化祭における弦楽部出演の記事を訂正しましたが、それは同じ日に別バンドでオン・ステージがあり、そちらの意識が強かったからだと思います。
バンジョーを含むギターのバンド、生徒会長のN君がボーカル、私は曲を作ったりギターやバンジョーを演奏した様にメモが残っています。写真はボケてますが、確かにギターやバンジョーを演奏していますね。







中学校3年生の11月父が東京(水産庁の本庁)へ転勤となりました。三ヶ月後は高校受験、正直心配でしたが第41群(悪しき学校群入試二年目)に合格、東京都立小石川高等学校に入学しました。母校は一昨年閉校となり制度上は東京都立小石川中等教育学校に改編されています。


高校時代もバンド活動をしました。クラスメイトのO君がリーダー、バンド名は「ボサノバ研究会(通称ボサ研)」。
編成はセルジオ・メンデスとブラジル66に似せたもの、もちろん彼らの曲も演奏しました。
O君がギター、ベース1、ドラムス1、ボーカルは女性2名、タンバリン1、私はピアノをやりたかった(特に「マシュ・ケ・ナダ」)のですが練習場所が無いので仕方なく追加のギター1。
ピアノがある学校の音楽室は軽音研(ジャズのフルバンド)と音研(合唱主体のクラシック系部活)に占領されていたのです。残念ながら手元にこのバンドの写真はありません。文化祭(芸能際)では文京公会堂のステージに立ち、別の日に二日間学校の校舎を使う文化祭(創作展)でも教室で演奏しました。

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