
先月18日「夕飯の焼きそばに青のりをかけようと思い…」
から始まり、
50年前の記憶を頼りに生まれ育った家の界隈を
紹介してきました。
その後、25日にグーグル・マップとストリート・ビューを利用して、
最近の様子を見て回りました。
今日は小学校と中学校の通学路を見て回りました。
生まれ育った家と隣の浜本工芸の工場があった街区は現在、
「ベイシティ宇品」になっています。
その北側から東へ、
バス通り(18日投稿の解説図参照・御幸通りというらしい)
を目指しましたが、
直ぐ宇品橋にぶつかり直進できません。
北側にあった貯木場はある程度広い土地、
家が建っていなかったのでここを宇品橋の足掛かりにした様です。
何とか宇品橋に上らずに少し回避して東へ、
記憶を頼りに進むと左側にレンガ塀が見えます。
当時「糧工(りょうこう)」と言っていた場所。
「旧陸軍糧秣支廠」、現在の「広島市郷土資料館」です。
この北東近くに「松尾糧食工業所(カルビー株式会社の前身)」があり、
小学校の時に工場見学に行った記憶があります。
東京オリンピックの年(1964年)、私は小学六年生、
「かっぱえびせん」を発売したそうです。
工場見学の時にはキャラメルなどお菓子を作る工場でした。
ここを通り過ぎて少し先、「バス通り」に出ました。
左に曲がって少し行くと「宇品13丁目」のバス停があり、
ここで広島駅行きの広電バスに乗り「広島大学前」で降り、
千田小学校(25日投稿参照)へ通った訳です。
AI回答一部引用:
「宇品線といえば広島バス(赤バス)」という現在のイメージが強いですが、
昭和40年代(1970年前後)に広島バスと広電バスの間で路線の交換(再編)が行われました。
1960年当時は、確かに広電バスが宇品~広島駅方面への路線を運行していました。
(中略)
千田小学校は広島大学本部キャンパスのすぐ北側に隣接していました。
「宇品13丁目」からバスに乗り、千田町にあった「広島大学前」で下車して歩けば、
千田小学校のすぐ目の前、あるいは目と鼻の先に到着するため、
当時の通学ルートとしてこれ以上ない最適な経路です。
バス通りに出てから右に曲がり、
「宇品10丁目」バス停のところで右折、
電車通り(宇品通り)へ出る。
そしてひたすらずっとずっと歩く。これが長い。
国鉄宇品線の手前に「宇品中学校」があった。
宇品13丁目は当時の古い地名。
港の方から北へ番号が増えていったが、
現在の新町名は反対に北から港へ番号が増える。
昔の宇品13丁目は現在の宇品2丁目、10丁目が宇品3丁目となるようだ。
この投稿の冒頭にあるのは宇品中学に入学した日の写真です。
宇品中学校の校舎の屋上からグラウンドの方(東)を見ると宇品線が見え、
SLが走っていた。
その先に東洋工業があり、
コスモの試験車らしいものが走るのを見た記憶があります。
AI回答一部引用:
1960年(昭和35年)頃の宇品線では、蒸気機関車が日常的に活躍していました。
当時、宇品線にはディーゼルカー(気動車)も導入されていましたが、
東洋工業への通勤客などで朝夕に大変な混雑を見せていたため、
D51形やC58形、C11形などの蒸気機関車が旧型客車を牽引して走っていました。
1964年(昭和39年)時点の記録でも、平日の朝夕に4往復の
D51牽引客車列車が運行されていたことが確認されています。
その後1970年頃に無煙化(ディーゼル化)されるまで
蒸気機関車の姿を見ることができました。
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